塾長は「なるもの」

発表の通り、浅見は12月から入谷教室の教室長として勤務することになりました。

もちろん、上野桜木から全く消えるわけではありませんが、やはり入谷の責任者として、しっかり「自分のお城」を発展させていかねばなりませんから、彼もまた新しいチャレンジ、新しいステージに立ち向かうことになります。大きな人生の岐路といっても過言ではありませんし、私達にとっても大きな岐路に立っているということになります。

実は、私にとって分教室は4回目のチャレンジになります。

四街道という千葉の小さな市の駅前で11年塾を経営していましたが、その間、津田沼教室をやってみたり、検見川浜で新しい塾をやろうとしたり、さらには東京に来る1年前に江戸川区の葛西に教室がありました。あの頃は、結局私に着いてくる若者がいて、彼等を食わすために分教室話に飛びついたというのがホントのところで、ちゃんとした準備もしていませんでしたし、スタッフを育てていたわけでもなく(飯はよく食ってましたが…)、しかももらった話に乗るということばかりでした。

ある先輩から、「それは展開とは言わないね」という苦言をもらいましたが、本当にその通り。今でもその言葉を覚えています。

実はわざわざ言ったことはないのですが、私はそれ以来、その先輩をとても尊敬しています。

ですから、千葉の時代の若いスタッフたちは、結果的には失敗したものの、分教室を作っていくという経験はしたのです。一生懸命やってくれたのは事実で、それは曲がりなりにも何かしらの役に立つ経験になってはいたと思います。私の経営者としての力が未熟だったという、ただそれだけのことだったのです。

東京に来てからは1回も分教室を出すという動きをしたことがありませんので、皆初体験です。
実はそれまで、教室を背負って立つ人間を育てるべく頑張ってきました。いつまでも会社に頼ってもらっても困るので、いずれは独立するようにと言っていました。「塾長のコピーを作る」という感覚でした。

ですが、それは上手くいきませんでした。そりゃそうです。皆、サラリーマンとして会社に勤め、会社でステージを上げていくことを求めていたからです。そこを「自立しろ」と一生懸命突き放そうとしていたのですから、上手く行かないはずです。

そこで悟ったこと。
塾長は「なるもの」なんです。
実は育てるものではないのです。
そこを勘違いしていた時期があったのだなぁと。

逆に、教室長や部下というのは育てるものでしょう。ある程度の「正解」が決まっていて、それを正しく踏襲できたり、少しだけ新しい改革が出来るのが、勤め人としての最高のパフォーマンスでしょう。それは「塾長」とはちょっと違うものです。

塾長には、そう簡単にはなれないものです。いや、逆ですね。そう難しくもない。要は自らの意志でならないとなれないということなのです。

塾長=事業主の世界というのは、ざっくり言うと「労基法が一切関係ない」世界なんです。労働者ではないのですからね。好きなだけ働いて、勝手に過労で倒れても「知らんがな」って言われて終わりの世界です。

保証なんてありません。「会社がいろいろ保証してくれる」なんてことはありません。だって、会社=自分ですからね。全て自分の責任で行動することになります。ですから、会社が悪いとか、社長が悪いとか、誰にもその責任を転嫁できないんです。そういう世界です。

でも、自由なんです。
好きなように働き、好きなように生きればいい。そういう世界でもあります。

だからこそ、みんなにそうあってほしいと思っていたのですが、どうもそうではないということをつい何年か前に知りました。

塾長は、自分で勝手になっていい職業。
教室長や社員は、勝手になっちゃダメなんですね。

浅見も将来は自分で教室をやる=塾長というふうに「なって」いくよう進化して欲しいのですが、まだまだ教室長ですから、ね。頑張って欲しいものです。

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