一生懸命に教えてくれる人の熱意

「一生懸命に教えてくれる人の熱意」というのは、子どもの感動にいっそう拍車をかけます。第一志望校に合格した子が、教えてもらっていた講師を見て涙を流してしまうというのは、それまでの講師の一生懸命さと、共有した時間の苦しさもあって、感極まってしまうからなんですね。

どちらかと言うと、私は、普段あまり熱血ではないタイプ。
スポ根の理不尽さが昔から非常に嫌いでした。
ですから、熱い男が大嫌い。ウザいです。
私は、闘志は心で密かに燃やすタイプでした。

ですから、一見すると「いいかげん」「適当」だと思われることもあるようです。ところが、いざ受験なり何なり、一大事になってくるとグッと話がマジメになります。ズバズバ、生徒の痛いところも突きますし、それはほとんど図星。普通では「そんなキツいことを…」と思われることまで言う場合もあります。

ですが、私はそれでいいと思っています。
何故か?

私の基本のコンセプトはたったの一つ。
「どうしてあの時言ってくれなかったんですか?」
と、後になって文句を言われたくない。
ただコレだけなんです。

今、私が口ごもることで、または「個人の問題だ」「家庭の問題だ」などと突き放して、必要な情報を与えなかったことで、将来困ったことになったり、大きな不利益をこうむったりすることがあったときに、恨まれたくないのです。ですから、言いたくないことも、「一応言っておくよ」と前置きした上で、言います。

子ども達は、その時はビックリするようです。
普通他人、それも大人が決して言わないようなことも言うからです。恥ずかしいことでも何でも。

最近は「良い子」が多いので(笑)、あまり込み入った相談はありませんが、その昔は不良生徒の相談や、性の相談、人間関係、親子関係、生死… 本当にいろんなことを相談されました。妙に不良生徒が信頼を置いてくれるのが面白かったのですが、それも歯に衣着せぬ発言と、本当にその子を思って発言していることが良かったのではないかと思っています。

合理的だ、科学的だ、成果主義だという世の中で、この教育という世界だけは、一般企業のような計画経済はあまり成り立ちにくいものです。納期を決めて、納期を守るのは企業としてはあまりに基本的過ぎることなのですが、教育の世界ではそんな簡単にはいきません。対価に見合った成果を「等価交換」するわけにもいきません。何故なのか。

それは、扱っているのが「人間」だからです。
機械や食物を作っているのではないからです。
人間を作っているからです。

ゆえに、そこには「他人のために一生懸命になる」「他人を幸せにする」という、人間として基本となる行為が伴ってきます。誰かに一生懸命になってもらった人は、誰かに対して一生懸命になろうとするでしょう。プラスの連鎖が起きるでしょう。ゆえに、教育の世界では、はじめに目標ありきの成果主義ではなく、この感情的な「一生懸命」が、結果的に好結果を導くということが起こり得るのです。いや、むしろこちらの方が良いのです。

日本有数の居酒屋チェーンの社長が買い取った学校も、教育界に一大旋風を巻き起こすには至っていません。大人がして欲しいことを子どもに与えても、子どもは動かないのです。

子どもに対して一生懸命な人がいるところへ行かせるという選択を、今の若いお母さんにはオススメしたいと思います。そして、結果的にはそういう人や場との出会いが、子どもを「成長」させるのだということに気づいて欲しいと思います。

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