ある生徒の授業中。
国語の授業でした。
文章の読み方が分からないと。国語が苦手な子なので、文章を読むことも当然苦手なのでしょうが、とにかく読んで理解するということがどうしても出来ません。文章は書き手が何かを伝えたいがゆえに書くものであって、記号でも暗号でもありません。ゆえに、内容がきちんとあって書かれているもの。ふつうの日本語で書かれているのですから、読めない、理解できないというのは、イコール「日本語が理解できない」というのと同じなのですから、まずはじっくり時間をかけてでも「読む」「理解に努める」というのが第一ステップです。
ところが、その子は、友人に聞いた話として、「独特の記号を文中にふっていって読み進めるとか聞きました」と言い出したので、「これはマズイぞ!」と思い、それを徹底否定しました。
確かに、接続語や指示語に記号を振り、文章を分析していくというやり方は重要ですし、それが出来るようになれば成績も上がります。ただし、それはまず最低限「文章を読めている」ことが条件になります。なぜかというと、それは「うまく読解するテクニック」だからです。
テクニックは、基礎力がきちんとある人には非常に有効です。時には正攻法の学習というのはまどろっこしいものです。遠回りをしているように感じることもしばしばあります。そこで、基礎や理屈が分かっている人に対して、「こう考えると楽だね」と、近道を教えることがあります。それが「テクニック」です。
ただし、その根底にある理屈も何も分からないまま、単に解答を出すためだけにテクニックを教えると、何にも応用できなくなりますし、そのテクニックが一体何のためにあるのかも理解できずに使っていることになります。他に応用が利きませんから、パターンを変えられると使えなくなります。余計に理解できなくなり、結局全てがやり直し… 等ということにもなりかねません。
ですから、基本的桜学舎では、ステップを踏み、正統派の学習をさせるよう努力しています。ちゃんとプロセスを踏んで、正しい理解をした上で、最後にボーナスとして「テクニック」を教えることにしています。最初からテクニックなど教えられるわけがありません。
残念ながらこういうテクニックだけに毒されている高校生などは、やり方は良く知っているけれど、一体それが何なのかも分かっていない子が大半ですし、パターンの違う入試問題には全く対処できない子も多くいます。
テクニックだけの子はいずれ潰れます。
テクニックがつかいこなせるだけの学力を身につけて欲しいものです。
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