子どもに責任を取らせましょう

 子供の成長において、主人公はあくまで子どもです。
 分かりきっていることですが、子どもの人生ですから、大人、特に親が責任を持っていただきたいのはもちろんなのですが、これはあくまで「世間対親」の図式の中でのこと。

 これもまた、前述の「他者意識」の中でのことですから、家の内と外を区別する場合の話。他人様に対して自分の子の育て方に親が責任を持つのは当然なのでしょうが、「親対子ども」という構図の中では、また少々責任の所在が異なります。

 子どもは子どもの人生を生きているわけであって、親の人生を生きていたり、親のために生きているわけではありません。乱暴な言い方をすれば、親が死んでしまえば子の人生など知ったことじゃないわけですし、手出しも出来ません。所詮親子とは言いながらも、まったく別個の「人格」を生きているわけですから、親が子を言いなりにしようと思ってでも無理な話ですし、逆に子が自分の人生の責任を親に取ってもらおうと思ったところで、甘ったれもいい加減にしろと言わざるを得ません。じゃ、親が死んだら、子も死ぬんかいな?ということです。

 ですから、子どもの人生の責任は、ある程度の年齢になったら自分で取らせなければいけません。つまり、オトシマエをきちんとつけさせる必要があるのです。もっと口の悪い言い方で言えば、「自分のケツくらい自分で拭け!」ということです。これを怖がってはいけません。

 小学生のうちはなかなかそうもいきません。そもそも小学生に判断能力もありませんし、甘ったれも当たり前だったりします。年齢的に。

 自分でケツを拭かせ始めるのは、中学生あたりからでしょう。子どもも徐々に自我が目覚めてくる頃ですから、親の言うことなど聞きません。ココが難しいところ。「小学生の頃はいい子だったのに…」なんてのはよく聞く話で、中学生はいきなり変わってしまいます。この時期に、小学生時代と同じ付き合い方をしようと思ってはいけません。わずか数年なのですが、まったく異なる「生き物」だと思った方が正解です。

 では、中学生に対してはどうつきあうか。
 答えは、「過程は問わない」ということです。親御さんは特に、結果だけを重視すればよいのであって、過程を問わないことが重要です。

 例えば、普段勉強する様子が無い。
 小学生の頃は、お母さんと一緒に勉強しようと誘って、ダイニングで勉強するということが出来たでしょう。しかし、中学生にもなって、お母さんと一緒に勉強なんて、ハッキリ言って、こっぱずかしくて出来ないわけです。誰にも見られていないにしても、「もしかしてオレはマザコンなんじゃないか?」などと思い、極力親と何かをする機会を減らそうと努力するのが中学生です。

 そういう時は、スタンスを変えるべきなのです。

 「別にTVを見ようが、携帯をいじろうが、Youtubeにどっぷり浸かろうが結構だ。しかし、テストで親が提示する基準点を取れないようであれば、ただじゃおかない」「義務を果たさない人間に権利は主張させない」「ノルマを達成してから偉そうな口を利いて下さい」

 こういうスタンスで付き合えばいいのです。もちろん、ノルマさえ達成すれば、何をしていてもいいわけじゃありません。煙草を吸っていいわけでもなく、暴走族とつるんでいてもいいわけじゃないでしょう。それは常識的な範囲でね。しかし、TVを見過ぎだとか、1日何ページやるって約束したとか、細かく監視しているように管理しようとすると、必ず喧嘩が起きます。子どもは反抗します。

「オレは親の持ちモノじゃねー」
「オレを監視するな!」

こういうことを言い出すと、相場が決まっているのです。

ですから、親に最低限のノルマや結果を「献上」出来ればいいのです。それ以上に文句は言わない。それでいいでしょう。

しかし、結果が出ない場合は、それこそ「このオトシマエ、どないしてつけてくれるんや?」とスゴんでやればいいわけです。「親怒らしたら、ただじゃすまんぞ!」と。節目節目できちんとケツ拭かせて、「責任を取らせる」ことが、とても、とても、ひじょーーーに!重要なことなんです。

ココをですね、甘く見る親御さんがほんとに多い。
ここだけは、絶対に甘くしちゃダメなんです。
借金の取り立てと同じ。
きっちり回収しなきゃダメですね。

自分でやると言った。
TVばかり見ていても「大丈夫だ」と言った。
勉強はしていると言った。

その責任を、きっちり取ってもらうことです。
親はスポンサーですから、怒らせたら一切お金が出ない。
本気で怒らせたらヤバい…
そう思わせることが重要です。

「なかなか親の言うことを聞かなくて…」
と言う方もよくいらっしゃいます。しかし、それは違います。親御さんが言っていることがブレているんですよ。親の都合で、親の機嫌で話が変わる。そんなこと、こどもは鋭く見抜いているんです。

テストが悪かったから、夏休みはバッチリ夏期講習に行ってもらう。
そういうことにしたら、意地でもそれを通さなければいけません。
なのに、「子どもがダダをこねたから…」「講習費用を抑えたいから…」「期間中に海外旅行に行く予定があるから…」と、大人の都合で「罰」が軽減されたり無くなったりすれば、子どもは「大人なんてチョロい」「どうせ大人の都合で変わる」と思うわけです。結局、なめられるわけです。

テストが悪かったら、ダダをこねても一蹴して終わり。講習費用は覚悟する。海外旅行はキャンセル。親の本気を見せねばなりません。そして、子どもに責任を感じさせる必要があるのです。

「オマエのせいで…」

そう思わせないから、責任感もなく、ダルダルの生活しか送れない子になっちゃうわけです。

思えば、私も節目節目で、自分の父母にオトシマエをつけさせられてきました。ひっぱたかれたことも当然ありますし、裸で庭に放り出されたこともあります。泣きながら勉強させられたこともありますし、更生施設に入れられそうになったこともあります。目の前で電話されて、泣いて謝ったことを覚えています。

そのたびに、自分のしでかしたことの責任の重さを考えさせられました。

いいですか、テストの点数が悪いのは誰に責任があるのか。
学校の先生じゃありません。
塾のせいでもありません。
ましてや、親御さんが責任を感じる必要などありません。
本人です。
本人が勉強しなかったから悪いのでしょう?

ならば、どうオトシマエつけんだよ?
どう責任とってくれるんだよ?
スポンサーに対して、どうすんだ?

これを考えさせねば、成長もしません。
成績の悪い子を慰めたって、1点にもなりません。

それを、「本当は出来る子なのよ」「やり方が分からなかっただけよね?」「もっと時間をかければよかったのよね?」などと擁護するから、結局子どもが増長するんです。かえってそれが子どもの成績アップや成長を阻んでいるということに早く気付いた方がいいのです。

まぁ、子どもに任せておいて、成績がアップするなどということは殆どありません(笑) ですから、よく「しばらく自分でやってみる」なんてことを言って塾を休んだりやめたりする子がいますが、「自分でやってみてどうだったんだよ?」と聞くと、十中八九、以前より成績が悪化します。ある程度の強制力が働かないと、出来る訳がないんです。

節目節目の責任の取らせ方が非常に重要です。
ブレない。
大人の都合を振り回さない。
本気で対処する。

それだけで子どもは大きく成長するものです。

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