今年も様々なことがありました。
初日から体調を崩し(体調が悪いまま参加したようです)、その晩は薬を飲んで寝込んだ子。何度も部屋に様子を見に行き、熱を計ったり布団をかけなおしたり、水分補給させたりと、波乱の幕開け。
2日目に早くも高校3年生が焦り出し、唯一の気分転換だった「マスのつかみ取り」は全員不参加を申し出てきました。担当の響講師も付き合うということで、その時間も全て授業に変更。「どうした!?」というくらいの気の入り方。
つかみ取りした魚を捌くのはスタッフの仕事。でも、これがかなり厄介。女性講師は悪戦苦闘。オマエ達も修行じゃ!とばかりに、生徒数分の魚を捌き、焼く… 生徒は横でじっと見つめる…という感じ。
早朝テストでなかなか合格できず、号泣してしまう6年生。悔しくて泣けるというのは立派なものですね。受からなくてもヘラヘラしている子もいますから…
朝ごはんを「食欲が無い」と言って食べようとしない小学生。「ハイ、まずお味噌汁から…」「次にサラダを少し食べる!」「しょっぱいものでご飯を一口!」と、ゆっくり時間をかけて食べさせるのも仕事。
お風呂もスタッフが持ち回りで当番を決め、騒がぬよう、怪我の無いよう。
辛そうな子も、合宿経験者が励ましてくれていたようで、連帯感が生まれてきました。ぐっと生徒どうし、生徒と先生の距離が近づくのもこういう経験をしているか否かの違いですね。
今年から試行した「進学ガイダンス」の時間。お風呂を分割して入らねばならないために生まれた余剰時間の活用が目的でしたが、「授業」以外に講師たちが自らの受験体験をお話出来たのがとても有意義だったように思います。
私はちょっと刺激的なお話を。学校は甘いし平等が「是」とされているけれど、社会は「不公平」が当たり前の世界だと。能力だけではなく、性格や容姿や社会性も十分評価される。好き嫌いで評価していいのが社会。誰も自分を守ってくれないし、誰も自分に好意的に接しなければいけないわけでもない。残念ながら、考えられないほどの悪意を持っていたり、意地悪な人というのも存在する。そんな世の中に放り出すために教育がある。だから、様々な力を身につけなければ荒波を渡ってはいけない。誰かが何とかしてくれるなんて甘いことは考えてはいけない。その練習が受験だととらえれば、きちんと練習を積んでいかないと本番で痛い目を見る…
そんな話をしました。学校と言うのは建前の世界。また、学校が建前をきちんと貫いてくれないと困るのです。我々は本音の世界。少々厳しくても、少々ドロドロしていても、ちゃんと「現実」を見せなきゃいけないと思っています。「そんな甘いもんじゃない」と。そして、実際に危機に直面した時に、「こんなの聞いてない」「知らなかった」「どうしてもっと前に教えてくれなかったの?」というのでは悲劇としか言いようがありません。我々は、行く手に落とし穴があれば、「危ないぞ」と注意したいのです。黙っているのは卑怯だと思いますから。意外にも真剣な表情で聞いてくれた生徒達。いい刺激にはなったのではないかと思います。
その他細々としたハプニングはありつつも、「これだけ勉強させるか…」と思うほどの猛勉強ぶり。普段ブツブツと文句を言いつつ勉強している子も、集中力がなく落ち着かない子も、かなり意識が変わったように思います。とにかく机に向かって黙って勉強できるようになってきたのが非常に大きいと思います。
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