恩師のはなし

 先日、高校の同窓会誌で、恩師が亡くなっていたことを知りました。

 私の高校の先生と言えば、まずT先生でした。
 とても優秀とは言えない生徒の私でしたが、T先生には何となく信頼して頂いていたようにも思いました。また、T先生の豪快な指導で、私も妙な道の踏み外し方をしなかったと思っています。

 私は高校時代に父が定年を迎え、私立大学には行けないだろうと思い、進路に迷っていたのですが、その際も、

 「そのくらいの蓄えはあるのが親だから心配すんな!」

 と言って下さったことで何となく気持ちも晴れて、私立の大学へ進学するための勉強を始めました。また現役ではダメだったものの、浪人してまでチャレンジすることが出来たのも、先生の言葉が背中を押して下さったからだと思っています。

 文化祭に夢中になり、勉強が疎かになってしまった2年生の2学期。通知表には1が4つもありました。普通であれば呼び出しの上で注意なのでしょうが、T先生は皆の前で私の成績表を見せて、

「大変だ、1が4つもあるぞ!」

と。あの恥ずかしさたるや(笑)
 しかし、そのおかげで目が覚めて、慌てて冬休みから勉強を始め、何とか3学期は追試も無く乗り切りました。あの豪快さが無ければ、私の目は覚めていなかったのかも知れません。

 卒業後何度かお目にかかったときも、本当に学生の頃と変わらない接し方をして頂いてうれしかった記憶があります。学校を訪問した際も、食堂にいるからと言われ、友人と先生に会いに行くと、

 「おう!」
と、いきなり小銭入れを投げてきて、
 「何か買ってこい」
と。こういうところも豪快でした。

 お酒が大好きだった先生。ちょっと昨晩のお酒が残ってるような、一番前の席だと少々お酒臭いような日の授業は絶好調。ものすごく面白い授業でした。古文の先生で、万葉集の大家。私が古文を教えているなんて言うと、笑われるかもしれません。「あれ? カメさん古文出来たっけ?」なんて。

 生徒と母校の話はよくします。私の話に影響されて憧れる子も多くいます。実際にようやく後輩を送り込めたのが6年前。今年も1名、1年生を送りました。上記の思い出話は生徒もよく知っています。

 今年は先生のお導きではないかと思うほど母校に縁があります。1人入学したということもありますが、つい先日面接にやってきた時間講師が母校卒。仕事の話をさておき、ひとしきり懐かしい話になりました。

 先日女子聖学院の先生がお見えになった時も、私の母校のお話しすると、「T先生とよくお酒を飲んでいました」と言われ、驚きました。第一声がT先生とは!

 私も結婚が遅かったので、毎年頂く年賀状には、「カメさん嫁もらえ」とありました。結婚のご報告はお手紙にて出来ましたが、いつか妻を連れてお会いしなければと思っていました。妻にもよく先生のお話はしていたので。これが非常に心残りです。

 一度お線香をあげさせていただかねば。お元気なうちに会っておけば良かった… 早期退職をされたので、気になっていたのですが。あんなにいつまでも生徒たちの傍にいたい先生だったのに、早期退職だなんて… もしかしたらそういうことだったのかな?と思ったりしています。

 最近、こういうネタが増えてきました。年齢的なものでしょうか。
 心よりご冥福をお祈りします。
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