進路は誰のものか

 私は、いつも高校の進路指導の先生とぶつかります。毎年毎年です。直接対決をしたことはありませんが、いつもぶつかるのです。
 
 たいていの場合、合格できる大学ばかりを探して勧めてくる学校の先生に対して、どうしたらよいかと我々に相談してくる生徒という図式。そして私の答えはいつも、「学校の先生の言うは参考意見でよろしい!」というものです。
 
 以前は公立学校の先生がこういう傾向にありました。大学入試に詳しくないため、浪人の生徒が出ないようにという思いから、必死に「合格できそうな」大学を探してきては生徒に勧めるという傾向が強いものでした。「先生は教育のプロだけど、大学入試のプロじゃないからね」という納得の仕方ができたのです。
しかし、最近、特に若い先生が強権的に出るというケースが数多く見られます。話の内容を聞いていると、どうも様子がおかしい… 

 以前、とある私立学校にお邪魔した時、先生が「私も予備校のCSで予備校の授業を自宅で契約して勉強しています」とおっしゃっていましたが、私はどう反応してよいやら困りました。

    以前、ある校長先生にお話を伺ったところ、「塾予備校はいいけど、学校は敗者を作れないから…」とおっしゃっていたのが印象的でした。そうですよね。学校がいたずらに敗者を作ってはいけないのです。可能性をつぶしてもいけません。

  本人の意志を無視し、「大学入試のコツはね、受かりそうな学校に推薦で行くことよ」などと強引に聞いたこともない地方の大学の指定校推薦を受けさせようとしてきた先生。「一般入試なんて無理だから」と生徒に言い放ち、国語が苦手な子に小論文のAO入試を受けさせようとした先生… 数々こんな例はあります。

 そもそも、進路は誰のものでしょうか。学校のものでも、先生のものでも、ましてや親のものでもありません。紛れもなく「本人」のものです。本人が何か志しているなら、「頑張ってみなさい」と応援し、フォローしてあげるのが教育者じゃないでしょうか。「無理だから進路を変えろ」などと言う権利など、教師にはありません。強権的に進路を変えさせようとするのは、必ず裏に何か思惑があるのではないでしょうかね。

 23年間、合格実績というものと付き合ってきて、私には絶対的な信念があります。合格実績とは、「お賽銭」なのです。頑張って、営業してお賽銭を集めるお寺や神社はありませんし、そんなお寺や神社にありがたみもありません。何かおかしいと感じますよね。しかし、本当にご利益があるのならばお賽銭は自動的に集まります。
その学校、その塾の教育内容が良くて、生徒のためを思って、一生懸命努力をしていれば、自然と生徒の成績も上がりますし、志望も上がります。実績も上がります。そのためには、誰かを東大に入れて起爆剤にするのではなく、ボトムアップと生徒全体の満足量を上げることです。

 本当に受験のことが分かっている人はこう言います。「受験は団体戦」 塾の手柄、学校の手柄を強調するところは、私は相容れません。まして、誰かの都合に合わせる必要など全くなし。自分の進路を自分でつかみましょう。

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