先日、合格・進学祝賀会を教室で開催しました。
以前はランチの食事会を催していましたが、昨年から教室で手作りの会を開催。今年もスタッフが企画から運営から話し合ってやってくれました。頼もしい限りです。
その中に浪人生が一人いました。去年の卒業生で、2大学に合格しながらも納得が行かず浪人。今年中大4、明学大1、立命館大1に合格し、中大に進学を決め、報告を兼ねて祝賀会に来てくれました。浪人時代に何度か顔を出してくれていましたが、頑張っているのが分かりました。結果が出て何より。祝賀会も参加出来て何よりでした。
さて、桜学舎に限らず、私の塾(以前経営していた千葉や江戸川区の塾も含め)は、よく皆さんに「塾なのに珍しいですね」と言われます。
浪人生が祝賀会に来るというのもそうですが、就職相談に来たり、就職が決まって挨拶に来てくれたり、結婚のあいさつに来てくれたり。ママになった教え子が出産前に会いに来てくれたりもします。塾としても、旅行に行ったり、我が家に教え子が遊びに来たり、本当にベタな付き合いをさせてもらっています。
「塾なのに…」 このキーワードは結構重要で、ふつう塾と言えばサービス業者とお客の関係性ですから、塾のほうが生徒や保護者をお客様扱いします。ご多分に漏れず、私も以前は「大手」と言われるところで働いた経験がありますので、塾にどなたかが入ってきたら全員起立して「いらっしゃいませ」と挨拶したり、お客の要望には100%応えることをモットーとしたりするのが普通だと思っていた時期もあります。
しかし、なかなかそういうことが出来ないまま、自分で塾を運営するようになって、上記のようなベタなおつきあいをするようになり、企業的な「お客様扱い」が、決して子供のためにはならないのだと思うようになってきました。
子供にかかわる仕事をしていれば、塾をやめてからも「どうしたかな?」と思いだし、心配し、気になるのは当然です。在籍期間は全力を尽くすが、お客でなくなった時点で責任外… その後は知りません… 的な割り切り方というのは、どうも私にはできないのです。
子どもの時期に関わる大人の質というのは、大人が思っている以上に重要なのです。たまたま通っていた塾の塾長の言葉など覚えてもいないというのが普通だと大人は思っていますが、子どもにとっては意外に大きなものなのだと思います。
以前、私はある生徒に、「動機が不純でもいい。頑張っていればいいんだ」と言ったのだそうです。正直、私はあまり記憶がないのですが、その子はよく覚えていたのだとか。その彼は、大学を卒業し就職に迷っていた際に、私に言われたその言葉を思い出し、公務員試験を受けて、東京都庁に就職が決まったそうで、挨拶に来ました。
「先生の言葉を信じて、オレ頑張ったんです」
そう言われると、改めて自分の影響力というものの責任の重さを感じます。「たかが塾長なんだけどな…」そう思いますが、子どもには意外に影響力を持っているのも自覚し始めました。
これは、塾に限らず「愛情の注ぎ方の問題」なのかな?と思います。子どもたちに対する愛情の注ぎ方が、「仕事」として子どもと付き合っている人たちとは少々違うのかなと思うのです。
私も、会いに行きたくなる女将さん、会いに行きたくなる店のマスター&ママさん、社長さん、先生、いろいろいます。共通点は、お客さんに対する愛情の注ぎ方が大きい点。それは過剰なサービスとか、召使のように何でも言うことを聞いてくれるというでもないのです。本当に一人ひとりの事情を考えて、友人のように、また時には親や兄姉のように接してくれる。もちろんそこに商売はあるのだけれど、単純にそれだけではない、そういうものが感じられるから大事にしたくなる人たちなのです。
両方経験してみて分かります。私たちと企業塾は別世界なんだなぁと。私たちは、「わが子のように生徒に愛情を注ぐ塾であろう」と再確認しました。
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