人の価値は同じじゃないんだなぁ…

 タイトルだけ見ると、
 「何て冷たい人間なんだ!」
 「教育現場にそんな奴を置いておいていいのか!」
などと叱られそうですが(笑)、どうも最近の若い人(と言い始めたらオッサンなのは重々承知ですが…)はちょっと考え方が小学生と同じだなぁ…と思う場面をよく見ます。

 つまり、人間の価値は皆同じで、自分も友達も、みんな同じ。そう思っているところが見え隠れします。
 例えば小学生なら、A君にお使いを頼んで、帰ってきたらご褒美をあげるなんて時、B君も一緒に付き合ってくれたのが分かれば、B君にも同じご褒美をあげることになると思います。A君は仕事をしたからいい物を、Bくんはついて行っただけだからあげない… というわけには行かないでしょう。下手をすれば、B君は、

「A君ばっかりずるい!」

と言うでしょうね。

 小学生ならこれでもいいのですが、さすがに社会人ともなると、そんなわけにはいきませんが、どうもこんな話をよく聞きます。また、みんな同じじゃないか…と主張する人も見かけます。果たしてそうでしょうか。

 私は、人間の価値は同じではないと思っている側の人間です。だからこそ、自分の価値を高めるためにいろんなことを知り、勉強し、出来ることを増やし、世界を広げようとしてきました。実際そうすれば、いろいろなことに出会え、いろいろなことをやりたくなるものです。だから、ボケっとしていられないほどやりたいことが出てきます。故に毎日が楽しい。充実。

 しかし、こういう考えで来なかった人もいるでしょう。何もしたくない、考えたくない、言われたことを最低限やって、給料もらって、ブラブラしたい…という人もいることでしょう。それはそれで認めます。そういう生き方をしたい人に文句を言う筋合いなんて無いですからね。自分の人生は自分で決めればいいのですから。

 ですが、努力を積み重ねてきた人間と、遊び呆けてきた人間の「価値」の差は歴然とあります。ゆえに、人間の価値、その人間が生きる時間の価値は、全員違うのです。それを、「あの人と同じだけの時間を過ごしたのだから、私も同じだけの報酬を受け取る権利がある」と勘違いする若者がいます。まぁ、それは若さゆえなのかもしれませんが、このところ何回かそういう場面に出くわしました。私は、

 「そうか?」

と思ってしまったのです。

 ふと振り返ってみると、この子達の年代は、どっぷりゆとり教育の世代。ゆとり教育の弊害は、その学力低下もさることながら、例の歌のように、「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」的な教育がまかり通ったところにあると、私は感じています。つまり、ナンバーワンになる努力はしなくてもいい。何も努力しなくても、生まれただけで価値があるのよ… そんな意味合いでしょうかね。ある部分では正しいのですが、ある部分では正しくない言葉でしょうね…

 ゆえに、他と差をつけることが「悪」とされました。運動会で競走しても、ゴール前で全員が待ち、最後の子を待って、全員手をつないでゴールする…なんてことが行われたこともありましたね。みんな平等… でも、それが幻想であることは皆さんよく御存じのとおりです。やはり、自分の「付加価値」を高めるために、能力を磨くために、「頑張る」ってことが大切なんじゃないでしょうかね。

 そして歴然と存在する他人との「差」を、厳しいかも知れないけれど「認め」て、その上で自分はどう生きようか、どの部分を武器にしていこうか、どういうチャレンジをしようかと考えていくことが「生きる力」になるのではないかと思うのです。その一つが勉強であり、学歴であり、能力であるのだと思います。

 ただ、「勉強」に平常点などという「生活態度」を加えて一元化して、「評定」「成績」にしちゃかわいそうです。以前なら、「1」が付いていた子は、単に「勉強が出来ない子」でしたが、今は「1」が付いていると「問題児」です。欠席しているか、授業態度が悪いか、提出物を出していないか… そういうことでいいのかなぁという疑問はあります。

  別に、勉強が出来なきゃいけないわけじゃありません。スポーツでも芸術でもいいのです。勉強が出来なくても、野球が強いんですよ…とか、友達を大切にする優しい子なんですとか、他の部分で良いところは幾らでもあったはずですが、今は「1」があったら「ダメ!」という時代。人の価値って、そんな単純なものではないのだと思うのですね。ゆえに、人はみな違う。そして、生まれただけでは価値はゼロ。いろんなものを身に着けていくことで価値が高まっていくと考える方が、普通の人間には分かりやすいでしょうし、努力する意味も分かってくるのではないでしょうか。

 大人の世界は残酷です。
 人間の価値は「給料」という形で、ある程度評価されてしまいます。私はそのどん底にいた経験があるので、その惨めさ、辛さはとてもよく分かります。私の20代後半なんて、今でいうニート、フリーターなんかと同じです。あの時はホント、価値の無い人間だったなぁと思います(笑) 半年給料0の時は、ホント落ち込みました…

 でも、この人間の価値は「カースト」ではありません。いくつからでも、いつからでも、身に着けたり努力したりすることで変える事、変わることが出来ます。これが「公平」「平等」ということなのでしょう。

 自分の価値を高めるために努力する。
 そういうことを「どうしてあの時教えてくれなかったんだ!」と子どもに言われないように、私は生徒に教えていきたいと思っています。分かってくれるかどうかは分かりませんが、「ああ、塾長が言ってたのはこれか…」と、ある時気付いてくれたら、それで価値があるってものです。

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