いずれは世間の荒波に…

  塾をやっていながら言うのもおかしな話ですが、私たちは「塾が無くてもやっていける子」を育てたいと思っています。塾屋からすれば、いつまでもずっと塾に通って欲しいと思います。高校部まであるのですから、短期集中ではなく、少しずつ長く通ってくれる子が素晴らしい結果を残しているという事実もあります。そりゃもちろんなのですが、私たちがお預かりできるのは高校生・大学受験まで。では、その先は… そうです。その先には塾が無いということを意識した「子育て」をするべきだと考えているのです。

  現代はサービス過剰の時代。何でもかんでも「お客のニーズを先回りして…」と、どんどんサービスしてしまう結果、我々の物事に対する感度はどんどん悪くなり、賢くなくなっている気がします。しかし、塾は「賢くさせるサービス」なのですから、「考えさせる」「理解させる」というトレーニングをさせねばならないのに、ともすると先回りして「教えてしまう」という失敗をしかねません。結果的に子どもが賢くなってもらわねば我々の目的は達成できないのですから、「塾に来たら何でもかんでも教えてもらえる」という勘違いを正すのも「指導」に含まれているのだと考えています。実際、「教えてもらっている」生徒は、なかなか成績が伸びません。自分が努力し、知識を取りに行くようになって初めて成績が向上します。

 矛盾するようですが、塾の力で成績を上げてもらっているうちは、塾に来る本来の目的を達成できていないのだと思うのです。もちろん塾で勉強して成績が上がるというのは望ましいことなのですが、それはどうも塾の力であって、子ども本人の力ではない気がします。私たちの分析した問題や対策が的中して成績が良かったこともあるでしょうが、それはたまたま私たちのポイントがズバッと的中しただけであって、もし私たちが対策をしなかったら、もし桜学舎に来ていなかったら、成績は悪いままだということになります。つまり、本人の学力に大きな変化が無く、与えられていた武器がたまたま強かったに過ぎないということになりはしませんか?

 学習だけではなく、友達関係や環境、生きる目的や熱中するものなど、全てにおいて「誰かの力のおかげ」ではいけないのではないかと思います。

 たとえば、学校や大人の見守りがある環境においては、イジメから子どもを守るシステムはありますが、社会にはありません。学生の頃の試験には先生や塾・予備校といった支援システムがありますが、大学の定期試験対策の塾はありませんし、就職や転職、結婚などをサポートしてくれる塾は基本的にはありません(最近はそういうサービスもあるようですが…)

 つまり、どんな教育システムの場合でも、どんな子どもの支援であっても、最終的には「自分で」「一人で」出来るようにならなければならないという大きな目的があるはずです。そこへの道のりとして桜学舎のサービスが存在し、最終目標を卒業時に達成してほしいという願いがそこにはあるのだということを、もう一度スタッフも含め見直す必要があるのではないかと思っています。

 塾はバランスが大変難しいものです。本質を理解させなければ本当の力はつかないものです。しかしながら、我々に与えられた時間はとても短いもので、1教科1週間でわずか80分。ですからある程度「捨てる」部分も出てきてしまいます。入試が迫っている子に「本質論」をじっくり時間をかけてやっている場合じゃありませんし、逆に時間的余裕がある中1とか中2に、ただ当てはめるだけで正解が出る魔法の公式を教えて点数を取らせるというのは逆に成績は上がるかも知れませんが、勉強が出来るようになったり、知的レベルが向上したりすることにはむしろ悪影響を及ぼしたりします。

 ここの部分を、もう少し補ったり、もう少しシステマチックに出来ないか… そんなことを常々考えているのですが、手作りの塾ですから、なかなか手が回らないところもあります。しかし、この点に気づいていれば、まだまだ生徒が伸びていく余地があるのだと思います。

 世間の荒波を渡って行けるような子に育てたい。桜学舎はもう少し進歩を重ねていこうと思います。

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