できない奴ほど評論家になる

予備校街と言われる街があります。
その昔、私も有名な予備校街だった代々木へ随分と通ったものですが、今じゃすっかり予備校の街ではなくなっているようで、栄枯盛衰の激しい業界だなぁと改めて感じることも。

この近辺ではお茶の水。本の街や楽器の街でもあり、私は結構用事がある街なので出かけますが、そんな街の喫茶店や書店で予備校談義をしている浪人生とおぼしき子たちの声が耳に入ってくることがあります。

あの先生の授業がいいとか、あの講師はクソだとか、今人気はこっちだとか、このテキストをやっていれば大丈夫で、あっちは使えないとか…(笑)

そういうのって、実は面白くて仕方がありません。
だって、どれをやれば大丈夫だとか、どの先生がいいとか、大学に合格したこともないような子が一生懸命評論家をやっているのですから。その前に勉強しろよ…と言いたくなります。

もちろん不安な浪人生活の精神状態を保つには必要な話かもしれません。私も予備校時代は、あの先生の授業が面白いとか、あっちは思ったほど面白くないとか言っていた気もします。

ただ、できない子ほど、自分ができないことを「自分のせいだ」と思いたくない傾向があり、他人や環境のせいにしたがります。それは「行っている予備校が悪い」「習っている先生が悪い」「使っているテキストがわかりにくい」、しまいには「出身高校が低レベルだった」…などとトンチンカンな原因探しをし始めます。

過去を悔やんでもいいことは全くありません。
過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる
だからこそ浪人までして勉強しているわけですから。

そもそも予備校や塾で講師職として何年もやっている先生が、おかしなことも間違ったことも基本的には教えていないはずです。使えるの使えないのという評は、実は生徒自身がその先生の授業を「使えている」「使えていない」というのが正解であって、つまり使えないのはオマエ自身なんだよ?ということなんですね。

こういうことをちゃんと言ってやれる大人がいないというのが、その子自身の最大の不幸なんでしょう。ずっと勘違いしたまま大人になっていくというのは怖いことです。

先生を選び始めたら、というか、習っている先生の評論を始めたら、その子はダメになっていく、というのが私たちの一つのチェックポイント。わかりやすいとか分かりにくいというのは、自分が授業に着いていけているか行けていないかの代替表現なのですね。 

結論。
「できない奴ほど評論家になる」 

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