「お疲れさまでした」

よく、社会人教育で習うこと。それは、
「ご苦労様でした」は上から目線なので先輩やお客様には使ってはいけない。
「お疲れさまでした」と言うべきだというもの。

ところが、先日はタモリさんの「『お疲れさまでした』も上からのねぎらいの言葉」という発言が話題になりました。確かにそうなんでしょう。言葉の本来の意味はそういうものなのかもしれませんね。ですが、言葉というのは時代や状況によって変わっていくものです。そういう認識が大事。

では、特急列車などの車内放送で、
「長らくのご乗車お疲れさまでした。次は◯◯、終点です」
という言い方も、上からの目線を感じるのでしょうか?(笑)
まぁ、これは屁理屈か(笑)

言葉というのは生き物で、もともとの意味は違ったかも知れなけれど、現代ではこう使われている…というのも実は当たり前のことで、ちょっとだけ言語学を聞きかじっている程度の人間でも、常識のように分かっていることなのだと思います。

かつて、現代の「コオロギ」は「きりぎりす」と呼ばれ、「きりぎりす」は「はたおり」(コオロギ?)と呼ばれていました。どこで入れ替わってしまったのかは諸説あるようですが、いずれにせよ、古文で読む「きりぎりす」はあの茶色い虫「コオロギ」のことなんですね。

鎌倉時代というのも、文章が「和漢混交体」的になってきて、徐々に「漢語」が文章中に輸入されてきた時代。平安時代の文章は「和語」の世界ですから、平安時代の古文が難しいのはこれが理由です。時代が進むにしたがって徐々に現代語に近づいていくわけですから、江戸時代の文章などは同じ古文であってもかなり読みやすくなっているものです。現代語にかなり近いですからね。

言葉はこうして変化していくものです。生き物ですので、使われ方や意味が徐々に変化していってもいいものなのです。「正しい日本語を使え!」というような方もいますが、何が正しい日本語かの定義も怪しいものです。

そんなことを言ったら、現代において「ヤバい」は一体どれほどの多義語になっていることか!(笑)

ですから、「ご苦労様」は上司からのねぎらいの言葉なので、目上の人には使ってはいけないので、「お疲れさま」を使うべきだというのも、現代のビジネス新ルールだと思えば、また新しい言葉の用法だと思えば別に大しておかしなことではありません。意図的にルール変更したり、理不尽なローカルルールであるのならばともかく、自然と社会常識的に広がっていった新しい用法なのであれば、「もともとこういう意味だったのだから、その使い方はおかしいから直せ」というようなものでもないような気がします。

だったら、「重複」は「ちょうふく」が正解なのだから、「じゅうふく」と読むのはおかしいから直せ」というべきでしょう? ちなみに「じゅうふくとも言う」と広辞苑には載るようになりましたね。 

生きているからこそ言葉は面白いんだろうと思っています。

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