先日、思うところあって、1限、2限、3限と、授業前に檄を飛ばしに教室へ入りました。
桜学舎では、授業開始前に「始礼」という時間を設け、連絡事項を伝達し、「1限の授業を始めます、お願いします!」と「礼」をします。そこへ久しぶりに私が入りました。
まぁ、私が行くということは、檄、つまりまぁ、お説教なんですが、宿題をやってなかったり、授業中だらけていたりすることが気になった生徒がいたので、ちょっと「シメ」に行ったということ。
「宿題をやってこない奴は、成績も上がらんので、塾は辞めさせます。桜学舎は入りたくて仕方ない人が次から次へと来ているので、やる気のない子は早々に辞めさせます!」
一番目を剥いて私の「辞めさせるぞ」発言を聞いていたのは小学1年生ってところが笑えたのですが、とにかく小学生はびっくりしたみたいで、教室の風が一気に変わったのが分かりました。小学生はカワイイモンジャ(笑)
中高生には、辞めさせるぞに加えて、「凡事徹底」という言葉を教えました。ちょっと刺激的に。
成績を上げたり、受験に合格したり、自分の夢を叶えるのには、特別な努力をする必要はほとんどない。ただ、100人が100人「当たり前だよね」というようなことを、ただひたすら当たり前にする、ただそれだけで十分なのだと。なぜかと言えば、ほとんどの人間が、その「当たり前」を実行出来ないから。当たり前のこと、平凡なこと=凡事を徹底させるだけで、コンスタントに続けるだけで、周りの連中が勝手に自滅して行ってくれるので、最終的に自分だけが勝ち残るというシステムになっているのだと。社会とはそういうものだと。特別な能力を持った人間が特別な努力をして勝利しているのではなく、ごく普通の人間が、当たり前の努力を「継続」するだけで自然と勝ち残れるのだと。宿題、学校の授業、塾での不明点の解決等々、誰に言わせても「やるのが当たり前」だということを徹底してやれと。しかも中身を考えて、形式的にではなく、という話をしました。
これはとても刺激的だったようで、やはり中学生あたりは目を丸くしていました。ものすごい特別な努力をしなければ受験に合格しないのではないかと思い込んでいた節があって、ゆえに逃げたくなっていたところはあったようです。違うんだとわかって、自分にもできることなのだとわかって、やる気になったような感じ。
高校生には、さらに刺激的に、桜学舎自身の経験と分析も加えました。つまり、「生徒が集まらない」と嘆き、「桜学舎はすごいね」と言ってくれる塾長は多いが、だってやることやってるもの…と。偶然じゃないんだよ、努力してんだよ!と(笑) 俺が東京にやってきてコンスタントに凡事徹底を繰り返して行ったら、周囲の塾がなくなっていったんだと。この地域の子が急に増えたんじゃないのだから、桜学舎が生徒を集めりゃ他所が減るのは当たり前。でも何か攻撃したり、裏工作したり、卑怯な真似をしたわけじゃない。こうしてブログを毎日書く、チラシを作る、ウェブを更新する、通信を作るのに加えて、とにかく一生懸命授業する、生徒に目を配る… 自分たちができる努力を地道に当たり前のように繰り返し続けた結果、そういうことになっただけなんだと。
抽象的な話を繰り返しても全然目が死んでいた子が、この話だけは前のめりで食いついてきました。やっぱり、分かりやすい具体的な話は食いつくんだなぁと実感。
私も人から教えていただき、心に刻んだ「凡事徹底」
私の解釈は正しくないのかもしれないし、私流の味付けになってしまったのかもしれませんが、聞いていた講師もまた刺激になった様子です。
私が教場に出て、檄を飛ばしてくると、普通ならシュンとするんだろうけど、何故かウチの生徒や講師たちは生き生きとします。何故か頑張るようになります。しかもそれが「恐怖」からではなく、何故か笑顔で生き生きと。おかしな子たちです(笑)
その日はそんなことで、1日あっちこっちで叱ってみたり、喝を入れてみたりという日でしたが、何故か生徒がエネルギーに満ちていたように感じます。そして何故か、講師も張り切っていたように思います。塾長がみんなのことを見ていてくれるという嬉しさなのか、それは?(笑)
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