勉強が出来ない子って、まぁいつの世もいるのですが、それでも最近は「できなくて平気」って子が増えたように思います。
で、何故出来ないんだろうか?
今の勉強の、どこがおかしいんだろうか?
常にそれを考えてしまいますし、検証を続けています。子どもたちと話を続けているのも、その素朴な疑問から。どうして勉強する子としない子が生まれちゃうんだろうかなぁ?と、これは本当に永遠の疑問なんですね。
ただ、最近、幾つかの解答を自分の中で得始めています。
もちろん多面的かつ複合的な問題なので、単純に「これが原因!」「こうすれば大丈夫!」ってのはありません。むしろそういうことを言う人は「詐話師」だと私は思っています。現場にいれば、「そんな単純な話になるわけがない!」と言い切れるからです。
さて、その幾つかの答えとは、
①勉強のさせ方、中身の問題
②イズムの教育と親のボキャブラリーの問題
③自己責任の問題
この3つです。
長いので、一つ一つ書いていきますが、最初は①勉強のさせ方、中身の問題について。
これは近年、本当に深刻なところまで来ていると思います。結論として、学校教育現場の危機を感じているからです。
中学でも高校でも、私立公立問わず、学校説明会に行ってみてください。各学校、多少の温度差はあるにせよ、どこの学校も「早慶上理・G-MARCHに進学させます」「大学合格率が高いです」「進学補習体制は○○予備校が入っていて万全です」という説明が多いものです。中位から下位の私立高校が設置する「特進クラス」などは、学校説明の9割がこの手の説明だったなどという学校もあります。
この風潮によって、どこもかしこも上位の大学に行かせますというのが学校の「売り」になっていますが、そもそもその上位大学の定員数は高校生人口の2割程度。塾・予備校の合格実績についても同じことが言えますが、華々しい合格実績の裏には、倍以上の涙が隠れていることを忘れちゃいけません。
そして、それが百歩譲って、塾・予備校という「商売」であればある程度許容される部分もあるでしょうが、公教育の場においてそれがふさわしいのか、またそれが本来正しい姿なのか、そういう疑問を最近持たざるをえません。
というのは、こういうことが絶対的価値観になってくると、英語でも何でも、「これは出るぞ」「ここは重要だから覚えておきなさい」という、「出る順」学習になってしまうわけですね。
ちょっと余談ですが、昔公立高校の先生に聞いた話ですが、いわゆる底辺校で授業をすると、普通に興味を引き出そうという授業をすると生徒たちは寝ていたりボケっとしていたりするのに、試験に出るという授業をすると生徒たちが途端に真面目に聞き始めるのだそうです。つまり、レベルが下がれば下がるほど「テストのための勉強」をし始めるということなんだとか。
ところが、このテストのための勉強が、なかなか「不毛」なんですね。そのテストさえクリアすれば、頭から一気に抜ける、いわゆる「短期記憶」なわけですから。よって、その後、またその知識が必要になった時には覚え直さねばならないのです。延々とこの「地獄ループ」が繰り返されるので、勉強なんてきらいになりますし、苦行にしかならないわけです。
勉強が出来ない子たちの大半は、勉強が嫌いな子です。
でも、何故きらいなのかといえば、苦しかったり、つまらなかったりが理由でしょう。しかし「やらなければいけない」という価値観はしっかり植えつけられているので、ピーマンやニンジンを食べなさいと叱られている子どもみたいな感覚で「嫌いだけどやらなきゃいけないものだから」という基準で勉強を続けているのです。ゆえに、いつまでたっても成長しないし、いつまでたっても出来るようにならないのです。努力を重ねているのに成果が出ない子は、結構こういう子だったりします。
言っておきますが、本来勉強とはそういうものではありません。
そうとしか捉えられないのであれば、残念ながら勉強に関する「才能」がないので、抜群の成績をとることは諦めたほうがいいでしょう。苦しい努力を重ねて、そこそこの成果で満足するしかありません。
学校の授業がそんな価値観で行われているとすれば、それこそ最大の不幸ですが、本来勉強とは「知らないことを知る」という、最も楽しい活動であるはずなのです。子どもは幼い頃、何でも「知りたい知りたい」で、うるさいくらいでした。それがいつから「知りたくない、勉強したくない」になってしまうのでしょうね。その疑問ってありませんか?
今子ども達に必要なのは、「中身の勉強」です。
それがよくわからなくても、試験に出るから覚えておけ!じゃないんですよ。それが一体何なのか、「これって面白くないか?」と嬉々として語れる授業、その授業のおかげである分野に深く興味を持ったなどという授業、それが重要なんです。そういう学習がなくなっちゃっているのでね。
そこまで深くなくても、物事の本質を教えて欲しいわけですね。
例えば高校生たちに英語や古文を教えているとそんな場面によく出会います。
ーーーーー
平安貴族の恋愛は覗き見から始まる。垣根の間から家を覗いたりする「垣間見」
だから、今でも「垣間見る」って言葉があるでしょう?
気になる女性がいたら歌を送る、お付きの者がそれを渡しに行く。
取次をしてもらうことは「案内」、あないと読む。
返歌をもらって帰ってくる。その後、いい返事ならば夜に…
でも、明け方には帰るんだよ? やっぱり当時でもいいことだとは思われていないからね。
明け方に帰ろうとして、大雨に降り込められて帰れなかったので、しばらく女性の部屋にいたら、その父大臣に見つかっちゃった人いたね、誰だっけ? そう、光源氏ね!…
ーーーーーー
へぇぇ。
こんな話をしても、
「『あない』『かいまみ』は単語集に出てきました。源氏物語は読んでないから知らないっす。入試に出ますか?」
これじゃ、古文のベースはできませんし、興味も湧かないでしょう。「古文の世界は原則仏教社会でね…」なんて常識すら通用しないケースもあります。「仏教知らないんで…」いやいやいや…
試験に出ない知識は「無駄」であって、そういう話は「雑談」だと思っている子は、高校生ですらかなり多いものです。「先生の雑談から試験問題が出ました!」なんて報告も。だから雑談じゃねーんだって!(笑)
こんな勉強してるから、いつまでたっても知識も増え
ないし、面白くないし、意味わからないし、できるようにならないわけです。
こういう子が大人になると、本当に使えない人材にしかなりません。つまり学習能力が著しく低いので、マニュアルにあることや指示されたことは確実に出来るでしょうが、自分で気がつき、自分で改善し、自分でよりよい仕事を進めていく能力はゼロに等しいわけです。人材として最低レベル。困った人材です。
最近、
「おめーの学校は何教えてんだよ?」
と生徒に言うことが増えました。補習や受験対策ばかりが多いのですが、そのくせ何にも身についていないし、理解もしていないのです。結局、入り込んでいる予備校が提供する教材みたいなものをひたすらやらせて解説しているだけなので、いつまでたってもそれが一体何なのか、何の役に立つのか、楽しいのか楽しくないのか、「モチベーションが育たない」のです。
ただ解説だけされてももちろんダメなんですが、授業とはそもそも、その授業を受けたらからその分成績が上がるというものではありません。そうだと思っているなら、そもそも「授業」というものを理解できていない人が授業をやっているのですから、そんなん成績が上がるわけがありません。
授業は「きっかけ」です。
自分が興味を持って、もっと知りたい、もっとやりたいと思わせるための「きっかけ」です。だからこそ、桜学舎は成績が上がらないと言われても「もっと授業を取りましょう」という「営業」はしないのです。そもそも授業を増やして劇的に成績が上がったなんて聞いたことがありませんし、授業を増やして成績が上がるなら、毎日塾に来れば日本一になれるかもしれませんよ? んなわけがありませんよね。
勉強はあくまで「自分でやるもの」です。
自分でどんどん勉強できるようにならなければ、成績の劇的改善は期待できません。だからこそ、難しい内容の「意味」を解きほぐして教えたり、面白さを伝えたり、ちょっと煽ったり、そういうのが授業の本来の目的です。映画でいえば予告編です(笑)特に学校では、そういう本質的な、そしてアカデミックな授業をしてくれないと、我々塾がデータ分析やら傾向と対策やらを進めていくことができないわけで、正直いい迷惑です(笑)
最近ではすっかり私たちがその「本質的な勉強」の部分を担うようになってきてしまっているわけなので、ならばそれなりの「時間数」を頂かねばなりません。学校が予備校的になるのであれば、そちらを高額にしていただいて、我々には補助金を頂かないと納得がいきませんな(笑)冗談冗談(笑)
でも、この授業の質の傾向は、やはり偏差値が高い学校になればなるほど「対策」なんてしてないことがわかり、本当に興味関心を育て、勉強好きにしていく授業がなされていますし、偏差値が下がれば下がるほど「受験」「受験」と煽り立て、予備校的な勉強に頼らざるをえなくなっているのは、もう保護者たちも分かってきているようです。
ちょうど、私の高校へ進んだ教え子講師たちと話す機会がありましたが、「やっぱ、ウチの学校って、いい教育してたよなぁ」と、これは本当に今も昔も共通認識。あの学校の教育内容や姿勢は、やっぱりいいものです。なぜかというと、受験だの進学だのと、出る順学習、入試傾向学習をしていないから。昔なら「普通の教育」をしているからなんです。生徒たち自身がいろいろ興味を持って、自分で考えて、もちろん失敗したりダメなところもあるんですけど、それも含めてちゃんと行動している、そういう学校だから、改めて振り返って、「いい学校だったよな」と語り合えます。
もちろん、好き嫌いがありますから、一概にこういうことは言えない部分もあるんですが、授業を通じて多くの学校の生徒たちと接してみると、やっぱり受験勉強を学校で煽られている子に限って、私たちが期待するほどの力と知識、そして学習能力と知的好奇心が育っていない、そういう気がしてなりません。
私は、そういう予備校的受験勉強でモチベーションや学習に対する心が育つとは、やっぱり思えません。日本の中等教育が考えるべき「学習の本質」にはまだ課題が多いと思っています。
②、③はまた別記事にて。
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