教育者の正義概念と世間の常識の乖離

1月20日に時事通信が配信したニュースによると、福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめを受けた問題で、横浜市教育委員会の岡田優子教育長は、「金銭要求をいじめと認定するのは困難」と述べたのだそうです。その子は同級生から言われて自宅から現金を持ち出し、1回に5万~10万円、総額150万円近くを渡していたんだとか。さらに教育委員会は、「おごりおごられる関係で、いじめとは認定できない」と判断したそうです。

このことで、私、一つ、あることを思い出しました。
私も小学校5年生の頃の話ですね。あるクラスメイトのOくんと遊んでいると、バスで3駅くらい先へ遊びに行こうという話になりました。お金を持っていない私は困っていると、「奢るよ」と言われたので、バスに乗ったのです。当然彼が数人分のバス代を出しました。その後、いろいろ買い食いをして、帰りは楽しく歩いて帰って来たのですが、それを親に話したら烈火のごとく叱られました。

父は、小学生が「奢る」なんて馬鹿も休み休み言えと。お前の金でもなければ、その子の金でもない。親の金だ。親はその子のために小遣いを渡しているのだが、お前に奢るために渡しているわけじゃない。一体どういうつもりだ?と。小学生の分際で、奢るなど生意気だ。自分で稼いだ金で人に奢ってやれ。

多少理不尽なところもありますが、私はとっても納得しました。
そうだよなって。1円も自分で稼いだ金なんてないんだもんなあと。
自分の力で稼いだ金をどのように使おうと文句はないのです。しかしね、親の庇護のもとにある、親からもらったお小遣いで人に「奢る」って何だよ?って思います。

父は、教員でした。

父も、母も、今考えるとずいぶん生真面目で、正義感覚に敏感な人でもありましたが、それでもその正義観は私はものすごく納得できるものでしたし、そういう意味で「教育者」としての父は尊敬しています。母は教育者ではありませんでしたが、思慮の深い人だなぁとも思います。

そんな教育観を持っているので、私はこの教育長が、小5が渡す5万円、10万円のお金を「ちょっとおごってやっただけ」と言ってのけるのには、腰を抜かしました。あくまで報道ででしか知りませんし、最近は報道機関も上手に前後を切り取って、都合のいい報道をしてみたり、「報道しない自由」を全力で発揮してくれたりするので、なかなか全てを信用するに値しない状況ですけれど、まぁ一応議会での返答であったようなので、まんまなのかな?と考えると、やっぱりこの金額を「おごりおごられの関係」と言って、いじめじゃないと言い切るのは、普通の子どもを抱える親や保護者としては全く納得がいかないですよね。

教育者の正義概念がどうもおかしい気がします。

まぁ、塾の先生も相当変わり者が多いですが(笑)、学校の先生も随分と社会通念と乖離しちゃったものですね。ただ、学校に、学校の機能以上のものを求めてしまった結果、学校が機能しなくなってしまったのも一部事実としてあるのでしょう。「そんなの学校のせいじゃねーよ」「何でも学校のせいにするなよ」という先生たちの言い分もあるような気がします。過剰に責任論に敏感となり、責任回避のためにとにかく知らぬ存ぜぬ・無理ですを通すというところもあるのかなぁ?とも思います。

とにかくビックリ。
もうどうやら世間の学校には金八先生は居ないようですね。
どうなんだろうなぁ?
少なくとも、ルールは誰にでも公平に適用される「普遍性」を持ったものでなければいけませんので、ちゃんとダメなものはダメと言える大人が子供の指導にあたってもらいたいものですね。最近塾にこれを求められるケースが増えて来て居ますが、塾は学校よりも不完全ですからねぇ… 力不足で申し訳ない。

何だか腹が立つやら、複雑な気持ちやら。
いろんなものを「何だ?」っていう前に、まずは自らの「正義観」をちゃんとしておきたいところですね。 

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