あの日から10年ですね…

あの日から10年経ちましたね。


あの日。
あの時間。
私は根津の藍染大通りにいました。


当時根津にも支店があったコミヤ電器で電球を買い、志村さんというおばちゃんと世間話をしてから店を出て、藍染大通りを歩いていたら、急に妻から電話がかかってきました。と同時に周囲の古い建物のガラスがガタガタいい出し、最初は木枯らしが吹いてきたのだと勘違いしまいた。


電話口の妻は、
「どうしたいい?どうしたらいい?」
と慌てるばかり。
妻は極度の地震恐怖症なので、「とりあえずベッドの上にいなさい」と指示しました。落ちてくるものがないところでと。

私も立っているのがやっと。
危ないので大通りの真ん中へ出ました。すると、後でガシャン!という音。何と建物の2階のベランダに置いてあった植木鉢が次から次へと落ちてきていました。大通りの真ん中に出なかったら、私は植木鉢に当たって死んでいました。


揺れがおさまらない中、大通りを戻り、自宅マンションへなんとか到着。エレベーターは止まっているので7Fまで階段。上がったところで玄関先で怯える妻と抱き合ったのを覚えています。 その後のことは皆さんのご記憶にあることのとおりです。


東京へ来てからというもの、震災があって、新型インフル騒ぎがあって、リーマンショックがあって、今度はコロナ。激動過ぎます。でもなんとか乗り切ってきました。


今月でもう1年コロナ騒ぎやってるんですね。去年の今頃は全面オンラインにして、授業動画の撮影もやってました。 おかげで、動画編集技術が上がりました(笑)

このトンネルも、あと少しで抜けるはず。
これ以上、学者のウキウキ研究発表会やタレント知事の空虚なパフォーマンスに付き合うと、別の意味で死人がたくさん出ます。 これだけいろいろなリスクに晒されていても、ここまでコロナに感染しなかったことに感謝。生き残れてきていることに感謝。 手洗いと神社参拝とファインミニのおかげかと思います(笑)

そういえば、原発の至近距離で津波から命からがら逃げたという友人もいました。
あの日から10年。まだもう少し生きていれば、南海トラフと富士山噴火は経験することになるのではないかと思います。無事であることに感謝しつつも、備えをきちんとして、できる限りの防災・減災を心がけていきたいものです。

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