納得の行かない話

先日、千住大橋を渡る機会がありました。素盞嗚神社から京成の駅へ向かったときのことです。ふと見上げると、橋の名前は「大橋」。そうだ、千住って付かなかったんだなぁ…と思い出しました。このたもとあたりで芭蕉は船を降りたとか。深川から1日でココまで来るのですから、結構な旅だったはずです。

さて。

納得行かないのはそんな話ではなく(笑)、面談のお話。
今月は面談月間で、数多くのお母さんお父さんとお話をしています。もちろんお子さんの様子のご報告というのもありますが、特に受験生はいよいよ志望校をどうしましょうか?という話をしています。

既に成績優秀ゆえ、ある程度の学校を受けても問題はなく、「もう少し上も考えておきましょうか?」というお子さんもいますが、桜学舎の受験生はだいたい親御さんばかりが焦り、本人は至ってノンビリ…というケースが多く(笑)、

「お宅のお子さんだけじゃないですよ」

とお話することが多いものです。やってもやってもなかなか伸びない子もいますし、なかなか難しい子もいます。ただ、どんな子も力がないわけではなく、やっぱり何か一つのきっかけをつかめないだけで、かつて、そういうところから脱却した生徒も多々いました。最後の最後まで努力することが運をも呼び込みますし、なにかに向かって頑張る際の正しい姿勢だと思っています。スポーツでも同じことが言われるはずです。勉強も同じ。

私達一般人は、天才ではありません。天賦の才能が無いってところが、そもそもの出発点です。

最近「ギフテッド」と言われるようになった「天賦の才能を持った子」などは、他と比べ物にならないほどスゴイ力を持っているものです。私も何人かそういう子を見てきました。ただ、9割9分9厘の子がそうではないわけで、だとすれば残りは「努力」でカバーするしか無いわけです。一般人の武器は「努力」しかないのです。その武器を捨ててしまうようでは、一体どこに「浮かぶ瀬」があるんでしょうか? 努力を否定し、揶揄する人間もいますが、そういう人は生まれ持っての天才か、もしくは置かれている状況が見えていない人なのか、どちらかなんでしょうね。

で、何が納得行かないか、という話でした(笑)

公立中学校=高校受験生の保護者面談の内容を見ていると(私がやってないものも報告が上がります)、意外にも「もうコレ以上の上積みは見込めない」と早々に学校から言われ、やる気も勉強するモチベーションも下がっているという声が多いのです。

ご存知のように、現在の高校受験はほとんどが内申点で決まります。中学校の先生が付ける成績表の数値(5段階評価のあの数字です)で、選択できる高校がほとんど決まります。

私立高校の単願であれば、1月に面接試験と作文試験(適性検査という名の簡単な学力試験を実施する学校もある)で合格が決まります。正直なところ、これで落ちた子は見たことがありません。

都立高校を本命とする子が私立高校を併願する際も、「併願優遇」という制度を持っている学校は、都立が不合格の際に入学するというお約束で優遇点をもらえますから、やはりこちらも基準を満たしていて、エントリーさえされていれば落ちた子はまず見たことがありません。

都立高校推薦入試はそもそもが超狭き門なので、アレで合格するつもりで行くと大怪我をします。そもそも合格は難しいのだと覚悟して受けるべき試験。とすれば、ある程度内申点と当日の学力検査がバランスよく評価される「入試らしい入試」は都立高校一般試験しかないということなのです。

上記のような状態ですから、内申点である程度の「未来予想図」が描けてしまうわけで、逆に言えば「今から努力しても何も変わらない」「やるだけ無駄」「適当に決めたらもうそれでいい」となることが多いのです。

え?

やっぱり、日本の中等教育、これでいいんですかね?
1億総中流が崩れて久しいですが、だからといって資本主義社会の荒波を渡っていこうと頑張る若者を「教育」が育てられているとも思えず、むしろ「こんなもんだから諦めろ」と言われるようなことが時々見られて腹立たしいわけです。

もちろん現実は厳しい。
努力が全て実るわけではありません。でも、努力しないと「実る」「実らない」の選択肢すら出てこないわけで、買わない宝くじは当たらないのと同じこと。まずは行動し、参戦し、努力することが第1歩なんだと子どもたちには教えたいのですが、どうもそんな基本的なところから崩されるケースを見かけるので、正直混乱します。

え?

って。

もちろん、困難なことがある子や、事情のある子については配慮が必要なことは重々承知です。ただそれは別の救済案があればいいのであって、やっぱり中等教育のあたりの基本は、

①多少アップダウンがあるかもしれないが、いつでも気づいたときには「敗者復活」が出来る
②努力が正当に評価される・反映される
③余計な要素を入れずに学力なら学力だけで測る

という評価やシステムづくりをするべきだと思っています。
この時期の子に、「部活も勉強も両立させ、3年間不断の努力を続けてアベレージで評価を高くする」ということは非常に難しいです。そもそも反抗期だし(笑)部活三昧になったり、叱られて慌ててダッシュで勉強したりになりますよ。それも経験なわけで。

大学生あたりまで含めて、今はレールから外れることを非常に恐れる時代だと言われています。脱落したら「終わり」という感覚は、就活をする大学生にもあるようです。でも、ごめんなさい、脱落しかしたことない、そもそも社会の流れに全く乗ってこなかった、いや、乗ること自体を拒否してきた私にはまるで分からない感覚です(笑)

私も今のシステムだったら、完全なる落ちこぼれでした。中学や高校での評定平均がすべてを決めるなんて世界では最低ランクだったでしょう。しかも中学生の内申点には、やっぱり「提出物」などの別の要素も入ります(授業態度などは観点別の整理でなくなったようですが… 詳しくは浅見の書いた小冊子をご覧下さい!)し、1年・2年の評定を引きずるというルールも公開されているようですから、結局「いい子ちゃん」でなければ高い成績は付かないのでしょう。私は無理でしたね…

内申点が悪かったら終わり。受験資格もない。
これって、大人になってから大学に入り直そうとしたのに、「高校時代の成績が悪いので受験できません」「20年前ヤンキーだったから受験させません」なんてのと似た感覚になりますね。そんなの困ります。

気づいた時に、自分の努力で自分の進路を修正していく、努力して付けた力を色眼鏡で見ないで正しく評価してもらえる、それが「公正」だと私は思うんですけどね。そして、1%の可能性でもあれば、諦めないでチャレンジする、そういう精神も養って欲しいと思うんですけどね。

時代遅れなんですかねぇ?(笑)

ぶっちゃけコレを変えるには政治家になるしかありませんし、与党にならなきゃ無理ですよね。
それは私の人生のミッションに無いので、困ったものです(笑)

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