おしゃべり

 「上野桜木の先生はおしゃべりが多い」と言われます。

 おしゃべりといっても口が軽いということではなく、よく話をするということです。
 確かにそうかもしれません。学習内容はもちろんですが、社会のこと、人生のこと、友人のこと、芸能人のこと、時には恋愛や家庭のことまで、まぁよくしゃべります。
 ところが、昔、これが裏目に出たことがありました。というのも、現代文の授業中に話が脱線することが多かったのが高校生には不評だったようで、授業に出ても意味が無いと言われたことがあったのです。反省することしきりだったのですが、しかしこのスタイルで10年近くやってきて、好評だった事はあっても不評をかったことはありませんでした。

 授業中の雑談は本当に生徒の雰囲気を見る力がなければできません。授業にうまく乗って来ない生徒がいるときや勉強に関連する雑談をすることで勉強の意味というものを教える時でないと出来ませんから、熟練を必要とするのですが、どうも私の読みが甘かったのでしょう。

  しかし、ここで思ったのは、「今の子供たちは本当にゆとりがないのだなぁ」「最低限の労力で済ませようと思うのだなぁ」ということ。

 つまり、「受験」といえば受験だけ、「仕事」といえば仕事のことだけしか知らなくていいという考えを持っている子が多いということです。効率効率と言われ続け、相当頭が麻痺しているのでしょう。
  特に大学受験現代文は解答テクニックもさる事ながら、一般教養的な要素を多分に含む教科です。小林秀雄を知らない受験生や記号論を知らない受験生は入試問題で四苦八苦するでしょうし、仮に大学に受かったとしてもそれはフロック。入ってからが大変です。

 また、多種多様な題材を取り扱った文章が出題されるのですから、全てを理解する必要はありませんが、物の見方・考え方に関して、また世の中の動向に関して知らなくて損することはあっても、知っていて無駄なことはありません。
 ましてや、そのような傾向をふまえた上でいきなり難しいことをやっても無理なので徐々に時間を掛けて…と思っているのですが、効率主義に染まった生徒の思考回路にはなじまないようなのです。要領よく振る舞おうとしてもダメなものはダメなんですが…

  実際、教室の合格実績からみても、何事にも「へぇ、そうなんだ」と言い続け、吸収し続けてきた生徒は合格の栄冠を勝ち取っていますし、それなりに生き生きとした大学生活を送っていますが、途中で挫折したり、要領よく振る舞おうとした生徒は不本意な結果に終わることが多いのです。もちろん、最後まで教室に残る生徒は前者のような生徒なのですが。

  そもそも、世の中にあるもので、必要なものと不必要なものを見分ける力など、残念ながら高校生程度のでは持ち合わせていません。持っていると思っている人がいるとすれば、それは完全な思い上がりです。これは自分を振り返ってみても分かることです。
 それでも「そんな事も知らないの?」とつい思ってしまう高校生が多いのは事実です。知をむさぼる大切な時期に、時間とお金を交換するようなアルバイトに明け暮れ、血にも肉にもならない時間を過ごしているのが私にはどうしても気になります。
 いざ受験生となって、1年間だけ勉強し、魔法のような解答テクニックを身に付け、かっこよく大学生になる…そんな夢の世界に生きている高校生が多すぎると思いますが、私が時代遅れなのでしょうか?

  「そんなの意味が無い」
と言い続けている人間こそ、「意味の無い」生き方をしている人間です。世の中に無意味なことは何一つ無い、そんな謙虚な心構えが必要なんだということをしっかりと教えたいと私は考えています。

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