どちらの価値観が?

まずは下の記事。
読売新聞10/29より転載。
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神奈川県平塚市の県立神田高校が入学試験で、服装や態度の乱れを理由に合格圏内の22人を不合格にしていた問題で、県教委は29日、渕野辰雄校長を更迭し、11月1日付で県立総合教育センター専任主幹に異動させる人事を発表した。
 県教委は、服装の乱れなどを選考基準として公表していなかった点を問題視、「保護者や県民の不信を考えると、これから始まる入試準備にかかわるのは適切でない」と説明している。
 渕野校長は、受験生の外見を合否判定の基準にし始めた04年度実施の入試時は教頭、05年度以降は校長として非公表基準での選考を指示していた。
 県教委にはこの日、「なぜ外見で判断することがいけないのか」などとする意見が多数、寄せられた。一方、文部科学省は「公表基準以外で選考したのは入試の透明性、公正性の観点から不適切」との見解を示し、県教委に再発防止策の報告などを求める。
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 これ、どう考えますか?
 私は、こういう「大人の対応」を子供は見ているなぁと思います。
 
 入試に、茶髪で、だらしない服装で(例えば長ランとかですね(笑)…古いか!)、ピアスを着けて、面接官の前にふんぞり返って「入れろよ」みたいな子が、社会で通用しますか?
 というより、普通そういうことしますか?
 金八先生世代のツッパリでさえ、そういうことはしませんでしたよ?

 この校長は、ある意味、「面倒くさい生徒を採りたくない」という事なかれ主義が先行したきらいもあるけれども、基本は「一般常識」に照らし合わせた行動をとったわけで、「社会人」としてはごく当然の行動をしたのだと思います。少なくとも彼の「社会感覚」「社会常識」は正常ではないかと思います。

 会社の採用面接だって、待ち時間に漫画読んでて落とされたなんて話はよく聞く話。 当たり前なんですって、社会では。
 そして、その社会へ出る前の訓練・教育を行うのが「学校」なんであって、学校は小さな社会のはずなのです。

 ところが、この教育委員会は、
 「保護者や県民の不信を考えると、これから始まる入試準備にかかわるのは適切でない」
だとして校長を更迭。

 実に事なかれ主義。県民の批判を恐れて、更迭したと見えます。
 しかし、県民の声は、
 「なぜ外見で判断することがいけないのか」
 でした。数多くの意見が寄せられたそうです。 県民は正しい社会人だったということですかね。(笑) 

 学校という「特殊空間」にいると、どうしても「子どもの個性を」とか「それぞれの子どもに合わせた~」なんて考えてしまい、何だか性善説に基づく「聖職者的発想」に染まってしまう教師が多い傾向がありますが、忘れてはいけないことがあります。

 それは、「いずれは、子どもを社会に出す」ということです。目的を見失ってはいけません。
 「立派な社会人として社会に人材を輩出する」「自立して、正しくものを考えられて、自らの足で歩いてける人間を社会に出していく」
 これが教育の目的であって、その子をわがままに育て、他人も意識せず、礼儀も、マナーも知らない恥知らずを、「あなたらしくていいのよ」なんて言葉で誤魔化して、「後は知らないよ」と社会に放り出すことが「教育」ではないと思うのです。

今回の事件で、余計に教育委員会は県民の不信を煽ってしまったようですね。
さて。皆様はいかがお考えですか?

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