非常に良い本でした

c1d402c4.jpgいい本でした。
実によく分かる。

3人に1人しか第一志望には入れない。
中学入試は過酷です。
あおられないように、そして商業戦略に乗りすぎないように気を付けていただきたいものです。低学年は、行かせても補習程度。勉強のやり方を身に付けるのと、楽しくさせることが目的ですからね。


それにしても、最近強く思うことは、「もう、公教育も選択制にしたら?」ということです。

埼玉の教諭が「苦情で不眠症に」と保護者を提訴したというニュースがありました。モンスターペアレントへの反撃開始というニュースですね。確かに面倒くさい親です。電話で抗議され、連絡帳にも8度「最低だ」などと書かれ、女児の背中に触っただけで警察に暴行容疑で届けたとか。これでモンスターでないと言うならば、何を以てモンスターと言うのかというくらいの、典型的なモンスター。しかも自分がモンスターであることを認識していない。恐ろしいですね。

が、何故モンスターになるのか。
これをあまり分析し、指摘している人はいないように思います。これはですね、「人質感」なのですね。子どもを学校に「人質」に取られているという感覚です。

塾では親が「モンスター化」することが少ないように思います。当然過去にはうまくものが伝わらな親御さんもいましたが、決してモンスターになることはありませんでした。理由は簡単です。「嫌なら辞めればいい」「ほかの塾へ行けばいい」ただそれだけなのです。

しかし学校はそうじゃありません。そう簡単にも転校できませんし、ある意味生活の場にもなっていますから、環境の変化がもたらす子どものストレスは大きいものがあります。つまり、辞められない、逃れられない、ある程度強制力が働く環境であるから、その中でのトラブルは致命傷になりかねないということなのです。

私は、自分が中学生の頃から、なぜ自分が行きたい学校を選べないのかと疑問に思っていました。もちろん自分の小中学校に不満があったわけではないのですが、不思議に思っていたのです。中学校の選択制が東京の学校のみならず全国的に始まっていますが、当然と言えば当然だし、強制的に行かされても、有難いくらいだ…というような、戦後間もないころのような価値観とは大きく異なる時代なのですから、学ぶ場所もまちまちであればいいと思うのです。

極論を言えば、主要5教科については、学校でなくても履修を認めていいのではないかと思います。大検みたいな要領ですね。学校でももちろん履修が可能ですが、予備校でも塾でも、とにかく好きなところで履修をすればいいし、その費用は公費で賄えばいい(塾などには定額で委託する形にすればいいのです)でしょう。きちんと履修できているかは、年に2度ほどのテストを実施すればいいのではないでしょうかね。それとも中間期末だけは学校で実施するとか。

実技や集団生活、学活・部活などの分野においては、学校の存在が欠かせませんので、学校でやればいいのです。実技4科目と学級活動。これが学校。あとは、バウチャー券を持って塾・予備校に行くもよし、学校で勉強するも良しです。

ということで、学校は午前中のみ。給食を食べて帰宅です。2時くらいから各々勉強に入ればいいでしょう。何日かは2限で終了の日があるでしょうね。そうすれば昼頃から皆勉強が出来ます。

どうしても嫌なら、やめるという道もある。
他の学校や、学校以外で勉強する道もある。
そういう選択の幅が広がるだけで、モンスターは半減できるのではないかと思います。 モンスターを作っているのは、今の教育制度なんじゃないかと感じる時があります。

嫌な先生、困った先生に当たったら、1年は我慢しなければいけない… 娘が、息子が、辛い思いをしながら学校に通わなければならないとわかったら、そりゃモンスターにだってなるのが親心。当然だと思います。自分の子を守れるのは自分しかいないと思うでしょう。ちょっと自分の世界に入り込みやすい人なら、完全に被害妄想激しく、モンスター化するでしょうね。

まぁ私の案を実現するのは無理っぽいですが、親御さんの気持ちはちょっと分かる…、とまぁ、そういうことです。

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