小学生の質問で最近目立つのは、
「先生、ここまで合ってますか?」
というものです。問題を全てやらず、途中の立式の段階で確認したり、計算でも途中式までで確認したりと、とにかく途中まであっているかどうかを確認したがります。
「うるせー、最後までやってから呼べ!」
とあしらっても、まぁしつこく食い下がります。「途中まで見てください」「合ってるか気になる」
これは恐らく、間違えるのが嫌なんでしょうね。間違えたくない。もっと言えば、みんなの前でカッコ悪いところを見せたくない。見栄っ張りですね。
こういう子が恐いのは、間違えることを非常に恐れるあまり、自分で考え、自分で判断して、自分なりの答えを出さねばならない時に非常に困ること。勉強のように、算数のように正解がひとつならばいいのですが、結婚や就職など、正解がひとつではない場合、自分で判断できず、自分の答えを出すこともできないで、すぐ人に「合ってますか?」「正解ですか?」と聞く傾向があるのではないかと思います。実際大人でもそういう傾向が見られますよね。
一見慎重で、一見多くの意見を聞いているように見えますが、こういう人に限って人のいうことは聞きません。判断基準や価値観も非常に偏っているので、極端な解答しか出せない場合も多くあるでしょう。
こういう子に限って、「式が違う」「とらえ違いをしている」と指摘すると、血相を変えてノートを消しゴムで消します。どこが間違っているかとか、何がおかしいのかを検討する前に、いや、そんなことをするなんて毛頭ないような勢いで消してしまうのです。結果、成長が無い… 検討が出来ないんですからね。
こういう子にとって、点数や結果という
ものは一つの「断片」でしかないのだと思われます。だから次の試験にもつながらない… 勉強は刹那主義でやるものじゃないんですが…
で、これは大人が性急に答えを出させようとしたり、途中経過を認めなかったり、また結果の重要性を説いていなかったりということが原因ではないかと思うのです。つまり、性急に「ほら、答えは?」「すぐやれ」「遅い!」と急かしていると、結局「早く解答欄を埋めればいいのだ」と子どもは頭の中で勉強を定義づけます。ですから、まったくものを考えない子が育ちます。
「100点以外は0点と同じ」ということを言っていたお父さんもいらっしゃいました。私はこの考え方にはどうしても賛同できません。というか、「95点は0点と同じ」という意味を理解できないのです。95点は95点。惜しい点数のなにものでもありません。ちょっとドラゴン桜に毒されているように感じます。
こういう価値観を子供に伝えてはいけません。勉強が一時的に出来ようになった気がしますが、本質を理解したり、知的好奇心を伸ばせたわけではありませんから、いずれメッキがはがれるのです。95点は95点。子どもの頑張っている姿も、努力も認めてあげなければいけません。
間違えてもいいから、まず自分の答えを出してみましょう。知っている知識を使い切って大事に。間違っていれば必ず解決策を考えること。ちゃんと出来れば必ず勉強は出来るようになります。本当の学力をつけるということは、こんな小さなことに気を配るということでもあるのです。
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