人格者に

 勉強していい大学に入る。確かに立派ですが、それは単に勉強が出来たというだけの話です。人間としてのランクが高いわけではないということを、大きな「子供」達にもよく教えてあげなければいけません。

 本当のエリートというものは、「他人に対しての礼節」もわきまえているものです。

 勘違いした連中が本当に多いな…と感じることが多くあります。もちろん、立派だな…と感じる大学生も多くいるのですが、中には「東大生なんだから偉いんだ」とか、「早稲田だから何やっても許される」などという学生というのも様々な場面で見かけます。
 「レベルの低い奴らとは付き合えない」
 「オマエらとは才能も格も違う」
 「一緒にするな」
 こんな風に、他人を見下すことでしか自分のアイデンティティを確立することが出来ない人間も増えているそうです。残念だなぁ…

 空気が読めずに、ベラベラと勝手なことをしゃべり続ける人。他人や目上の人間に対する礼節が無い人。こういう人たちは、いくら勉強が出来てもダメですね。
 また、他人の役に立とうと思う人間でないと、ビジネスマンとしても発想が貧困ですし、結局自分のために何かをするだけですから公益性の無いエゴの塊みたいな人間になります。商売は「人の役に立つ」ことが基本。自分が裕福になることが第一義ではないのですが、それを理解できないってことは、とても残念です。

 頭がいいから、いい大学に入ったのでしょう?
 ならば、頭がいいのであれば、そういう礼節やら身の律し方などは言われなくても理解できると思いますし、実行できる、つまり誰が見ても「立派な人間」になりそうなものですが、そうでもない人がいるということが残念。

 実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

 世の中高は特進コース全盛。
 猫も杓子も特進、特進。
 しかし、特進こそ、人間教育をきちんとやるべきだと思います。エリート哲学をきちんと学ばせるべきです。リーダーを作るのならば、人格形成が最も重要です。善悪の判断や高い理想をきちんと学ばせるべき。

 もちろん、勉強ができるに越したことはありません。
 一生懸命勉強して、この国をリードしてほしいと心から願っています。こんなご時世だからこそ。
ゆえに、そこには「哲学」が必要でしょう。 勉強が出来るだけの「似非エリート」ではなく、是非本物のエリートになって、人格者になってほしいと思います。
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