「ふく」のこと

46吉田の家のミニチュアダックス「ふく」が、一昨日、天国へ行ってしまいました。(写真奥/手前は我が家の「まる」)

もうこのところ肺に水がたまっていて、息も苦しげにしていましたし、心配な状態でしたが、一昨日、お医者さんに行った帰り、義父からカステラをもらったら、それっきりものを食べなくなってしまったのだとか。いよいよかと思ったら、義父の足元へ来て、しばらくして息を引き取ったそうです。

春期講習をきちんと避けて、そして義父の東京での定期検診を避けて、本当に見計らったように逝きました。喋れないものの、こちらの言葉をよく解する利口な犬でした。私は、ひとかたならぬ恩義のある犬でしたので、本当にショック。というか、恩人ならぬ恩犬がいなくなった喪失感が大きく、ちょっと授業前も涙が出てしまいました。

妻と付き合って、いよいよ結婚のお許しを頂きに実家へ行った際。ふくは私にずっと懐いていました。なかなか私がタイミングを失って「御嬢さんと結婚させて下さい」と義父母に言えず、何だか「このまま言えず終いか?」なんて雰囲気の時に、ふくが駆け寄ってきて、おもちゃのボールを私の湯呑に「ポチャン!」とナイスイン! それが本当に、

「オマエ、えーかげんにせーよ!男なら言わんかぃ!」

って感じで、皆が爆笑し、一瞬で場が和んで、それをきっかけに結婚の話が出来たというエピソード。今の我々夫婦の結婚を最後に後押ししたのは「ふく」でした。

義母が亡くなった時、私とふくの「男の友情」が芽生えました。一連の葬儀中、私がずっとふくの世話をしていました。最後、葬儀場まで行くときも、彼と私という車になって、二人でドライブ状態でした。あの時は本当にオリコウサンでした。分かるんですかね、騒いじゃいけないって。

そうそう。
義母が亡くなってしばらくして、今度は義父が短期間入院したのですが、その際にも彼を我が家で預かりました。新築入居したてのマンションにやってきたのは彼でした。私は「犬が欲しい」と言い続けてきたのですが、飼った経験がなく、正直自信もありませんでしたが、ふくを2週間ほど預かったことで犬を飼うことを決心しました。世話の大変さも、また愛情を注ぐ対象としての愛しさも分かり、育てられると決心が確信に変わったきっかけでもありました。

ふくと同じブラックタンの子を真剣に探し、何度か足を運んだ末に、今の我が家の「まる」に出会うことが出来ました。これもふくのおかげだと思っています。2回誕生日プレゼントを我慢するという約束で飼った「まる」 それほどの(笑)愛情を受けて、相当ワガママなドラ息子に育っています。


本当に、怖いくらいの偶然。必然なのか。
2月に吉田がぎっくり腰を発症し、2泊で行っていた実家から帰って来れなくなりました。普段はそんなことはない「ふく」が、この時は彼女の部屋まで来て、ずっとベッドの下にいたそうです。下手をするとベッドに上がって、彼女と一緒に寝ていたとか。躾上、そんな振る舞いはしない子なのですが、よほどのことだったのでしょう。今にして思えば、最後に甘えたのかなぁと。いや、ふくがぎっくりを誘発させて、妻を引きとめたのかも?とさえ思います。

昨年の夏も、ウチのまると一緒に行った際は、写真もたくさん撮れましたし、クリスマスには2泊も我が家に逗留。私はクリスマスを2匹の犬と過ごしました。まるとふくの世話でてんてこ舞いのクリスマスでしたが、今にして思えばいちばんの思い出。ちゃんと思い出づくりをして行ったのかなぁ?

そして、金曜日。ふくの訃報を聞いた晩に帰宅。
妻と涙目になりながら「ふく」の思い出話をしていると、何と家電に電話が。
でも、ワン切り。一瞬鳴って、すぐ切れました。
ふくが電話してきたのかと、驚きました。犬のくせに生意気です(笑)

このところ義父が頭痛を訴えていましたが、ふくの悪いところを少し分担してたのかも知れませんね。

ふく。
ありがとね。思い出あり過ぎて、お世話になり過ぎて、切なすぎます。
もう早々に荼毘に付されたみたいですので、折りを見て手を合わせに伊豆まで行ってきます。

やっぱ、涙が出ちゃうわ(笑)

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