新しい教育の萌芽?

以前、角川・ドワンゴが運営するN高校(通信制)に転校した子がいました。
また、最近になって、ホリエモンは「H高校」を立ち上げると言い出しています。
 
既存の教育のほとんどが役立たないという彼ら。
全く別概念で「人材教育」をしたいと思っているのだと思うけれど、確かに実用性のない学問を延々と学ばされるのも、貴重な教育の機会を考えるとどうなのかなぁ?と思い始めた昨今。

私も古文の先生ながら、「古文や漢文には実用性は無い」と言わざるを得ないわけで、じゃ何のために勉強するのか?と聞かれると、純粋に知識教養としか言いようがない。実用性だけが学問ではないという方も多いだろうが、若い頃に子どもに与えるべき教育の質は変化してきているのではないか、また世間や親が求めるものも異なってきているのではないかと思うことしばしばです。

もし、この知識教養に興味を持つこと、道の領域への足がかりとすることが目的なのであれば、もっと面白く、もっと興味深く教えないといけないと思うのだけれど、結局は試験のための勉強にしかなっていないところが不幸なわけですよね。
 
いっそ、古文漢文は国語から外し、まさに「知識教養」の域におしやって、むしろ意思伝達や論理的思考の鍛錬としての「現代文」や、大量の本を読むことによる「言語・国語」、コミュニケーション手段としてのことばの勉強をしていく方が、これからは良いのではないかなぁとも思います。
 
本当に仕事につながるような貪欲な知識欲と、面白いことを突き詰めていく探求力、その裏付けとして必要な知識教養。そういう学びが今の子には必要な気がしてなりません。
 
「勉強 = 試験の上手なすり抜け方」

としか取られられていない「学力勝者」「学歴勝者」「受験勝者」しかいなくて、本当に「頭がいい」「よくものを知っている」という若者が激減しているように感じます。
 
「勉強のやり方を教える」

と20年前に打ち出して個別指導を始めた明窓学院(昔、千葉で私がやっていた塾です)。
今やそのフレーズは巷の個別指導塾でも溢れかえっています。

でもね。
巷に溢れる「勉強のやり方」は、私が当時訴え、考えてきた「勉強のやり方」とはほど遠い、「次の試験の乗り切り方」「とりあえず暗記で点数を取る方法」でしかないことが大半。時間の管理方法やテキストをやる順番、分量の管理。

そういうことじゃない、全然、本質ではないわけです。
もっとも、その本質を教えられる人なんて、滅多にいないわけで、私も教えられているのか、確証はありません。
 
でも、
「勉強の中身に興味を持たせる」
ことが重要なんであって、出そうなところを丸暗記していくことが勉強のやり方だと習って来ているいい歳こいた大人が結構多いのには驚きます。とりあえずこの表を覚えて数字を当てはめれば答えが出る、みたいなことを教えてしまう人が多いので、本当に困ります。勉強のやり方ってそういうことじゃないはず。
 
そういう意味で言えば、映像講義の中で勉強の楽しさの本質を語る有名予備校講師の方がよっぽど興味深い本質的な授業をしているわけで、やっぱり中途半端な塾講師など10年以内に淘汰されるというのが現実味を帯びてくると私なんかは覚悟をしています(笑)私の寿命もあと数年だなぁなんてね。
 
先日、学校の先生とそんな話をしました。
その先生も、今の学校のあり方にはかなり不満がある様子。
 
旧型システムをぶっ壊してつくる「見たことも」ない教育や、私たちが忘れていたような「温故知新」型教育もまた、貴重な時代になってきたのかも知れません。
 
どこもかしこも特進だの東大だの、予備校と提携だの。

そうじゃない。

「大学受験・進学実績なんて知らんがな!」
「俺たちは面白い、ワクワクする未来教育するだもーん!」
 
っていうような、ブッとんでる私学の登場を期待してやまないわけです。

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