教え導くのが仕事

上から降ってくる仕事を、単に振り分けているだけの人を見ると、私はイライラすることがあります。

先日も、ある店で商品について聞いていた時、
「Aはこうで、Bはこうです」
という説明がありました。
全然これでいいのですが、
「こういう場合はどっちがいいだろうね?」
と聞くと、やっぱりABの基準を教えてくれるだけ。
そうすれば、まぁ買う気のある客=私なので、どっちかは確実に売れるのですから、まぁいいんでしょうけど、買ってから私が幸せになるかならないかは、やっぱり私の判断次第ということになるのですね。つまり自己責任。でも、それを回避したいから、専門で見ているあなたに聞いているわけなんだけど、やっぱり「オススメ」はしてくれなかったので、何となくイライラしてしまいました。

もちろん、店員さんに悪気もないし、落ち度もない。
ただ、求めていることはそうじゃないんだよなぁ…と思う体験でした。AB振り分けてるだけのような気がしたんだと思います。

私達の仕事なんかはその最たるもので、ちょっと気が抜けると、A高校でもB高校でも基準に合ってるから合格はするだろうと、だからこのあたりで良いんじゃないか?などという指導になりがちです。でも、果たしてそれでいいのだろうか?ということを割とマジで考えてしまうのが我々の塾です。

「AでもBでも受かるだろうけど、どっちがその子にはいいのだろう?」
そういう事を考えてしまったり、それを突き詰めて話し合ったりするので、非常に手間がかかります。場合によっては親御さんと本人と、夜中まで話し合うなんてケースも過去にはいくつもありました。親怒る、子ども泣く、私なだめる…なんてことも多々ありました(笑)

振り分けているだけではプロの「仕事」とは言えないのだと、私は自分の仕事に対してそういう信念を持っています。私の判断が絶対的に正しいとは言えませんが、それでもやっぱりプロとして、「お子さんにとってはBの方がいいと思いますよ」って言えるだけの見識と判断力は持ちたいと思っています。なぜなら、私達の仕事は「教え導くこと」だからです。

今年、学校の先生から
「もう、オマエ勉強なんてしなくていいから」
って言われて帰ってきて噴火していた子がいました(笑)
点数がいくつくらいだから、ここへ行け、こっちはダメだ、ここは受かる。
そんなことをズケズケ言われて相談に来るケースも何件もあります。

学校にはビックリするようなことを言われちゃうんですね。塾ではとても言えないなぁ、こんなこと。 
数字や偏差値で子供の人生を輪切りにする、教育を食い物にする悪い奴らってのは、私達の世代では学習塾の代名詞でしたが、今やそんな我々の専売特許(笑)が奪われつつあります。 

大事なのは、その子がその学校に進学した後、いきいきと人生を歩んでいけるか、楽しく通えるか、そういうことですよね。そういう意味で、我々は偏差値の高い学校に入れることを無条件で良しとはしないよにしました。

偏差値で振り分けてるわけじゃないんです。
むしろ、偏差値ピラミッドの外側の概念を受験に持ち込みたい、それが私達の願いです。
私自身、高校入試の際に偏差値68の学校に合格しながら64の学校に進学しました。自分の性に合った学校でしたし、楽しく通えそうだったこと、東京まで通ってみたかったこと、そして何より文化系の強い学校だったことがその理由。偏差値だけ見れば間違いなく68の学校でしたが(笑)

自分の選択をしていい。
そのための実力を付けて欲しい。
私達が勉強をしなさいという理由は、これをおいてほかはありません。
自由になるために勉強しなさいって。
そう教え導くのが仕事だと思っています。 

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