結局、振り回してるのは大人

大人の皆さんは、ご自身の受験について振り返ってみて、どういう評価をされていますか?
いい経験でしたか?
得るものの大きい時間でしたか?

「受験なんてただ面倒だっただけ」
「何も得るものなんて無い。ただ大学に入るために仕方なくやっただけ」

そういう方って、実は優秀なのでしょうね。
本質的な勉強でない部分もある「受験勉強」は、研究職に就くような学問好きの方からすれば「無駄な勉強」という側面があることは否めません。つまり「入試を突破するための傾向と対策」なんて勉強は、その後の人生ではほぼ役に立ちません。二度とその学校の入試問題を解くことはないでしょうし、その学校がどのような傾向の入試問題を出してくるかという知識は、その他の分野ではほとんど役立ちません。

だから、面倒だけど、でも入試を突破するには必要な情報だからと、得て、身につける。
受験勉強なんてその程度のもの、と思えるというのは相当優秀だと思います。

残念ながら凡人中の凡人、およそ優秀などという言葉とは縁がなかった私にとって、受験勉強は大きく自分が変わるチャンスになりました。決して馬鹿ではなかったとは思いますが、好きなことばかり、興味に従って夢中になるような私は、当然学校の成績は下位。それでも文化祭やら音楽活動やら、友達との遊びには相当な力を注いでいました。決して「無気力」というわけではなかったのですが、でも、学校の成績がよくなかったのは事実です。

さて、そんな私が急に受験勉強をしたって、当然悲惨な結果が待っています。
確かに予備校にも通いましたし、それなりに勉強もしました。でも圧倒的に量が足りなかったし、そもそも甘かった…… 結果は9戦0勝で浪人生活に突入しました。代々木ゼミナール代々木本校の1年生になったわけです。

なった時点でもまだ甘かった。
楽しい予備校生活を送ろうと思ってましたからね。
実際、予備校生活は全然苦ではありませんでした。勉強が楽しくなっていったのもありますが、当時の予備校は有名講師がたくさんいて、とにかく面白かったのです。特に代ゼミ。

ところが、しばらくすると「結果」を直視しなければならなくなります。夏休みに偏差値70手前くらいまで出したのがマックスで、2学期に失速。一時は59まで落とした偏差値でしたが、最終的には63でフィニッシュ。そして当時偏差値63だった成城大学文芸学部マスコミ学科に合格するというドンピシャだったのですが、この2学期は本当に苦しみ、悩みました。ズルズル後退していく成績、結局突き抜けられない自分に対する苛立ち、自分の能力の限界を感じる瞬間もあって、本当に苦しい時期でした。

ただ、ものすごくいろんな事を考えました。
受験や勉強のことだけではなく、自分が生きている意味、家族の存在、両親への感謝、不甲斐ない自分の存在価値などなど…… 特に「人間の価値とは何か」については、本当に考えさせられることが多かったと思います。現代文の文章のを読んで、そこから考えてしまったこともありますし、引用された文に感動して、その本を購入して読んだこともありましたし、「高校生のための評論入門」をいう本を先生に勧められて読んだり…… そんなことから、深く思考することが増えたように思います。

大学に入ってからも、それほど勉強したわけではないのですが、それでも色々なことを考えたり、思考したりするようになったのは受験勉強の効用です。まず「この価値ってなんだろう」「どうして進めていったらいいのだろう」「その本質は何だろう」と、それぞれの意味を考え、解釈しようとする癖は付いたと思います。受験勉強を経て自分が大きく成長したことはコレだと思います。

小学生はまだまだ子どもなので、この論は当てはまらないと思います。
しかし、頼りない中学生や、ボケっとしている高校生も多いもの。最近では「中高一貫校中だるみ専門塾」なんてのも登場してくるくらいですから、色々な悩みがあるものですが、のんびりと部活三昧だった公立の中学生は、受験勉強を通じてしか、なかなかこのような「現実」「成果」というものに向き合う機会が無いのだと思います。受験は貴重な成長機会であるし、コレを逃して一体どこで精神的成長を期待するのだろう?と思うくらいです。

ところが、ここで親御さんが子どもの幼さについていけなかったり、根気よく寄り添えなかったりすることで、親主導で入試を乗り切ってしまうというケースが時々あるのです。親御さんが子どもに合う学校を調べて、見せて、「ここにしなさい」と受験させるパターンです。それが通用するケースというのもあるのですが、やっぱり私は「それでいいんですか?」と念を押すことが多いものです。

いや。
いいんですよ? それでいいなら。
でも、自分で悩ませ、自分で自分を見つめ直させる。自問自答をしてもらう。自分で進路を決めて、その決断には責任をもたせる。そこから人間的成長が生まれるのだと私は思います。子どもからこの選択の作業を取り上げてしまうと、結局一生親御さんが判断しないとダメな子が育つような気がします。


振替授業ひとつとったって、今日は急に外食に出ることになったから塾を休みますとか、明日は家の用事で振替にして下さいとか…… いや、いいんです。本当に無理なときは遠慮することはありません。しかし、安易な理由で振替するのも、結局は子どもではなく「大人の都合」なんですよね。結局振り回しているのは、大人だったりするのです。

受験を通して、ぐっと大人になってくれなきゃダメです。
より理性的に、より理知的に、好奇心旺盛に、ポジティブに、そして大人ときちんと話ができるように、「ちゃんとする」ことが重要です。自分の人生をきちんと想像して、好奇心旺盛に生きることが大切なのです。

自分の人生を自分で決める練習。
力をつけるためにはどうするか、の練習。
選択肢を比較検討する練習。
どれも、実際は受験勉強をはじめてみないとなかなかゲットできない「大切なこと」です。

我が子をちゃんと「使えるやつ」「ちゃんとしたヤツ」に育てることを考えてほしいなぁと思います。
そのための受験勉強。
最大限有意義に利用してほしいと思ってます。

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