忌み言葉

マレーシア渡航歴16回の私。
以前は生徒を連れて行ったりもしていましたが、最近はとんとご無沙汰しております。

さて。
その中でカンポン(田舎の村)に何度か泊まったことがありますが、観光というか、ワンナイトのホームステイなのでお客様。親切にしてくれる家が多かった記憶があります。

その村でよく歓迎料理として出してくれるのがチキン。
カンポンチキンは非常に美味しいのです。

その理由は「自由行動」だから(笑)
お庭にいっぱいいるわけです。

そして夕方、裏庭の方で、鶏の断末魔の声が聞こえます(笑)
その晩は大変美味しいチキン料理です。
そういうことなんですね。

そんな話を生徒にすると、可愛そうだとか、信じられないとか、無理だとか言うわけです。KFCとか鶏カラとかが大好物なヤツに限って(笑)


酷い喩えですけど、
「スーパーマーケットなんて動物の死体置き場だろ?」
って言うと、これまた「無理」とか言い始めるのです。こう言っちゃなんですが、バラバラ死体が並んでるわけですよね。それをどれが新鮮だとか、こっちが美味そうだとか物色しているんです、人間が。牛豚鶏、肉ってそういうものです。


現代では、「死ぬ」とか「殺す」という単語を徹底排除しているところがありますよね。特に今の学校、というか大人は、子どもにこういう言葉を使うなと指導しているようですが、我々が子どもの頃はごく普通にTVや漫画の中でも使われてました。

だってですね、レインボーマンの敵は「死ね死ね団」ですし、こまわり君の決め台詞は「死刑!」ですし、基本的に悪い奴らを「死ねー!」と言って成敗する正義の味方の物語が普通でした。 決して良い言葉ではないし、古典の時代から「忌み言葉」ですから、日常的に使うような言葉ではないはずです。でも、大人だって、

「今日は激務で死んだわ」
「マジ会社に殺されるわ」

なんて平気で言っているわけですから、ここまで来るともうなんだか分からなくなります。そういえば以前、「保育園落ちた、日本死ね」って言葉が国会の一部の方々の間では大絶賛されていましたよね? は?って思いましたけど、あれでいいんだ…としか思えなかった記憶があります(笑)


結局、自意識過剰な人間の自己満足みたいなもんで、意識高い系の言葉遊びのような気がします。こういう言葉を使っていると良くないってことは、子どもでも自然とわかってくるはずですし、どういう意味で使っているかなんて分かるはずですからね。そんなに目くじら立ててキーキー言う問題でもない気がしますが、どうでしょうか? 実際子どもたちはいまだに日常会話では使ってますからね。


賛否両論あるんでしょうけど、私は臭いものにフタをするのは反対派。死ぬとかいう言葉を「遊び」として使っていても、いつかふと「これがホントに死んだら怖いな…」と思うはずですし、だからこそ逆に「言葉遊び」として使っていることも分かるはず。じゃなかったら、「死ね死ね団」とか、超怖すぎます。


世の中、きれいなものだけ見ていたいと思うのはお花畑過ぎですし、そんなことありえないんです。それを見ないようにする、触れないようにするというのは間違いだと私は思っていて、ある程度免疫も付けないと弱い気がします。そして人間理解や他者理解が進まない気もします。結局自分の見たいものしか見ない人間を育ててしまう気がするのです。こういう人って本当に相容れないですね…


さながら、第一種住専ばかりのニュータウンが街として全く魅力や力がないようなもの。怪しい雑居ビルがあって、きれいな表通りとちょっと薄暗い裏通りがあって、怪しい人間もいてこそ「街」なんですよね。マンション群と商業施設モールがあれば街になるなんてという発想は大間違いだと思います。


そういう意味で、「免疫力高め」に生きていくことが、実はご機嫌に人生を歩む秘訣なのかな?とも思っています。

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